流れのほとり   
                                  発行: 流  れ  の  ほ  と  り 社     
                                  〒545-0042
                                   大阪市阿倍野区丸山通1丁目6-16
                                             松虫ハイツ303 
        2016年8月 7日号 No.312             主筆・牧師     竹谷 敏朗                                       


祈りだめ


 三浦綾子さんの「祈り」についてのことばを前回に続いてご紹介しましょう。

 『今でも三浦は時々言う。 「綾子、人間というものは、ある日突如として祈れなくなる日を迎えることもある。だから、祈れる時に充分に祈っていなければならない」  三浦の言うとおり、人間にはどうしても真剣に祈り得ない時がある。 だから、祈り得る日に祈っておくべきなのかも知れない。「食いだめは出来ないというけど、祈りだめはどうかしら」 私は時折そんなことを言う。』 (心のある家)

 私たちの社会は、今や、備える社会となっています。
 地震や洪水などの災害によって、いざという時のために食糧・水をはじめ生活必需品を蓄えましょう、常備しましょうと、呼び掛けられています。 また老後の生活のためにと、多くの人が資金を貯えています。そのために知識や能力や経験を積み重ねて仕事や事業に励んでいます。 家庭生活も、互いに支えあい、助け合うために保たれています。  そのためには健康であることが肝心なことになりますから、体力を鍛え、栄養を補給していこうとしています。 つまり、私たち日々の生活はすべて、人生の困難艱難危機に陥ることがあっても、そこから回復できるようになりたいという願いのもとに、その時に備えて蓄えのある生活を送ろうとしているのだと言うことができます。

 三浦綾子さんの「祈りだめ」の発想は小説「氷点」の入選の経験から生まれていました。
 『小説「氷点」が入選して、今年で二十年になる。 入選した時に、三浦の言った言葉で忘れ得ない言葉が幾つかある。 その一つに、「賞金一千万円の使い方は、入選しないうちにお祈りしておいたよ。 人間は、金を握ってからでは惜しくなって正しく祈れないことにもなるものだからね」と言う言葉があった。 私はなるほどと思った。 確かに人間は、一旦金を手にすると、それを祈り深く使うということはむずかしい。 それを知っている三浦は、小説が入選するか、しないうちから、もし入選したら「御心にかなう賞金の使い方が出来ますように」と、祈ってくれていたのである。 お陰で私たちは、一千万円の賞金をほとんど自分たちのためには使わなかった。』

 祈りだめは、神さまへの信頼の行為です。 私たちの祈りが神さまに聞かれると信じるから、祈ることができます。 私たちはどんなことでも、神さまを頼ってお願いすることができます。しかし、それをかなえてくださるのは、私たちの思いからではなく、神さまがふさわしいと思わた時なのです。

 ある婦人はご主人が神さまを信じるようにお祈りしていました。自分がクリスチャンになった時から、いつも欠かさず、そのお祈りを続けていました。 その祈りはすぐにはかなえられず、何十年も経て、実現しています。 それはそれは大きな喜びとなって彼女を祝福しました。 神さまを信頼して、祈り続けていたからです。
 私たちには祈る事柄がたくさんあります。 世界に平和が訪れますように。 教会が祝福されますように。
家族が救われますように。 事業がうまくいきますように。 健康で過ごせますように。 望みがかなえらえますように。 必要があたえられますように。 それらをノートに書き綴るなら、1ページには書ききれないものになるでしょう。 それでも祈りのノートを書き続けていきましょう。 ノートに私たちの祈りだめを綴っていきましょう。 それが出来なくなっても、積まれた祈りが、私たちを神さまの恵みで包んでくださいます。


     「 あなが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられる
     あなたの父に祈りなさい。
    そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。 」
                                                
              (マタイ福音書 5章6節)


デシェーザー宣教師

 
太平洋戦争の時、真珠湾攻撃をされた仕返しに、アメリカ軍の爆撃隊が日本上空にやって来た。
爆撃は成功し、帰還する途中、ある飛行機は不時着を余儀なくされ、結果、乗り組み員は日本軍の捕虜となる。爆撃手のひとり、ヤコブ・デシェザーはその収容所で、差し入れられた聖書から神さまの愛を知り、クリスチャンとして生きることを決意。 解放されて米国に戻った彼は、今度は愛の爆撃手になろうと決意し、神学校で学ぶ。 そしてかっては憎んでいた日本の人々に、神さまの愛を伝えるために宣教師として来日、その後の生涯を日本のために捧げられた。

 このデシェザー宣教師を取り上げた番組が放送されると言う。   8月15日午後8時からNHKで
  ぜひ多くの人に見ていただきたい。

                                     (バイブルクラスの写真、右端が母です)

 実は、私はこのデシェーザー宣教師から、中学3年の時に、洗礼を受けています。母がデシ-ザー宣教師のお宅で開かれていたバイブルクラスに出席するようになったことがきっかけで、その後、私の家でも月に1度、デシェーザー宣教師を招いてのバイブルクラスを行っていました。
         

 NHKスペシャル▽ふたりの贖罪(しょくざい)~日本とアメリカ・憎しみを越えて~
2016年8月15日(月) 午後8:00~午後8:50(50分)
真珠湾攻撃総隊長とアメリカ陸軍の爆撃手、憎しみをぶつけあった二人は、戦後運命的な出会いを果たし、固い絆で結ばれた。憎しみの連鎖を断ち切ろうと格闘した二人の物語。

「トラトラトラ」を打電した真珠湾攻撃総隊長、淵田美津雄は、戦後キリスト教徒となり、かつての敵国アメリカに渡り、伝道の旅を続けた。アメリカ陸軍のジェイコブ・ディシェイザー。真珠湾への復しゅうに燃え、日本本土への初空襲を志願、名古屋に数百発の爆弾を投下した。彼もまた戦後宣教師となり自分が命を奪った名古屋を拠点に伝道を続けた。ふたりの物語は、憎しみの連鎖に覆われた今の世界に確かなメッセージを与えてくれる。

(先に8/15pm9:00   からとお知らせしましたが、8:00-8:50  とNHKのホ―ムページにありましたので、訂正 します。上記はNHKホ―ムページからの転載です)


今日の聖句 2016年8月  毎日更新中   (ご希望の方には聖句メールとして配信します)
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8月7日(日)
「神は、高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになる。」(Ⅰぺトロ5:5)

天の神さま、今日もあなたの導きを感激いたします。どうか、心を貧しくしてあなたの恵みのシャワーを身に浴びさせてください。驕り高ぶりの心を洗い流してください。

8月6日(土
「神に逆らう者は悩みが多く   主に信頼するものは慈しみに囲まれる。」( 詩編32:10)

全能の神さま、新しい朝を感激いたします。この朝、愚かな人間によって引き起こされた戦争の悲惨さを思い起こし、わたしたちが主なる神さまの愛に応えて、世界平和を求める者とさせてください。

8月5日(金)
「主はわたしの助け手。わたしは恐れない。 人はわたしに何ができるだろう。」(ヘブル13:6)

主なる神さま、わたしはあなたがいつも助けてくださることを信じます。どうか、わたしが生き生きと生きていくことができますように、今日も力を与えてください。

レスポンス 

・竹谷先生 今朝も感謝いたします。「流れのほとり」送ってくださってありがとうございます。
 三浦綾子さんの世界を通してお祈りすることの大切さを、教えてくださって勉強になりました。
 イエス様を信じます
・毎朝の先生のお祈りで元気です。
・今朝もみ言葉とお祈りをありがとうございます。
・いつも聖句の送信ありがとうございます。
・毎朝、感謝です。


ニュース  新聞記事紹介   



 ACCA異文化理解研究推進会    フラワーデザイン        発行日 8月 7日

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