ながれのほとり          2026年 夏号      主筆 竹谷 敏朗


            ナースの誕生

 日本で初めての正規の教育と訓練を受けた看護婦たちの物語が、ドラマ化されて放送されています。かっての看護の仕事は卑しい仕事とされていましたが、そのイメージを覆し、専門職としての確率するまでの、初期のナースたちの物語です。その一人が大関 和(おおぜき ちか)と言われています。 
 和は18歳のころ(1876年 明治9年)に結婚し、長男を出産、さらに3年後には長女を出産しますが、様々な事情から、長女を出産後に離婚し、実家に戻ります。既に父は亡く、母に子どもを預けて働き始めました。ほどなく、和はある人物と出会い、知り合いになります。彼は、和にアメリカ人の夫婦を紹介するのです。すると、和は彼らと通訳なしで会話したいと、英語塾に通い始めました。その塾の主が、植村正度と言い、彼の兄が植村正久牧師(当時のプロテスタント教会の著名な指導者のひとり)でした。和はアメリカ人の夫人に誘われて、夫人宅で開かれる聖書集会に出席し、その流れで植村牧師と出会い、牧師宅を訪ねるようになっています。ある時、そのお宅を訪ね、植村牧師の夫人に、(先生の弟子になりたい、そして社会をよくしたい)と訴えました。すると、夫人は(あなたは神を信じているのですか)と問ただされ、そこから、和は熱心に教会(下谷一致教会)に通い、信仰を持つに至っています。1887年29歳で洗礼を受けました。そのころのことを和は次のように振り返っています。「明治15年の春、初めてキリスト教えを聞きましたとき、実にその教えの聖く、尊きことを感じました。」と。結婚した夫のことで苦労した彼女は、初めて英語塾において(一夫一婦が、神の教えにして人の道なりと教えられ深く感服し、この真理をさらに知りたい)と、教会に通うようになったのです。
 教会で神の愛と恵みを知り、これからは神のご計画に従って生きていきたいと、和(ちか)は決心しました。しばらくして、尊敬する植村牧師が看護婦になる道を勧めてきました。伝道者になりたいと願っていた和は大変驚きます。当時、看護は世間から疎まれる仕事となっていました。看護婦とは名ばかりで、医師の下働きや病人の召使のように見られ、また、金銭のために危険で汚い仕事をする女たちと見られていました。{こともあろうに、家老の娘の私が、いかに落ちぶれたとはいえ、看護などとは情けない」と答える和に、植村牧師は「君はクリスチャンになりたいと言いながら、まだ名誉を望むのか。我々クリスチャンが為す第一の務めは神の前に善を為すこと」と諭され、有名なナイチンゲールの例を上げて、日本の看護の遅れと必要性を諄々と語り告げました。(病人を真心を持って親切に看護し、天の父の慈悲を表すはこれに勝る伝道はなし)と言う牧師の言葉に、和は心を揺さぶられます。悩む和はいとこに相談しました。すると、彼は(君が尊敬し仰ぐ植村牧師の勧めならば、それは神の御心ではないか)と言われ、電撃に打たれたかのように、看護の道に進むことを決断するのでした。和(ちか)は、(わたしを産み育て、霊肉ともに守らせたもう父なる神の御聖意ならば、いかなる難儀困苦も偲ばざるべからす)と決心し、(この業を天職と報ずる上は、これを耐えるための力を与えたもうと信じて疑わない)と、神からの召命を確信し、植村牧師の勧めに従うことにしたのでした。

 大関 和は桜井諸学校付属看護婦養成所に入学しました。この学校はマリア・ツルー宣教師が始めたものでした。彼女は、派遣宣教団体の許可を得てアメリカで資金を集めます。この学校で和(ちか)は他の5人と将来のトレンドナース(traind nurse )、正規の教育と訓練を受けた看護婦を目指して学びを初めています。和たち研修生の日々は勉強さえしていればよいという楽なものではありませんでした。ガスも水道もない寮で井戸から水を汲んで、薪をくべての炊事・洗濯・掃除、しかもランプ生活なのでその手入れも一仕事でした。家事に追われつつ、未知の世界の勉強をするのです。授業も始めは医療専門の講師もいなく、看護教師の(アグネスベッチ)を待たなければなりませんでした。ツルー宣教師の読む英語のテキストを英語科を卒業していた研修生の一人が通訳していたのですが、生理学や解剖学の専門用語が分からず、しばしば混乱をしていたと言います。けれども、この看護婦養成所では創立者ツルー宣教師のもと、信仰の厚い看護婦の養成として、慈愛の精神を聖書を通して徹底的に教えられました。このスピリットが、和(ちか)を始め、ここ学んだ生徒たちの生涯のベースとなっていったのです。
  


夏 祭 り  


 日本の夏は祭りの季節 私の住む区内では、7月から8月にかけて12か所で「夏まつ」が行われる。そのタイトルも、(サマーフェステイバル)(ふれ愛フェェステイバ)(花火大会)(納涼まつり)などいろいろである。これとは別に、地域にある神社の夏祭りも行われる。代表的なものに、愛染祭、天神祭 住吉祭などがある。まさに夏は(祭り)一色。

「まつり」という言葉は「まつる」の名詞形で、本来はカミを祀ること、またはその儀式を指すもの。古代の日本は、祭祀を司る者と政治を司る者が一致した祭政一致の体制であったため、政治のことを、まつりごと、とも呼ぶ。

  日本語では「まつる」や「まつり」という倭語和語古語)が先にあり、その後、漢字が日本に到来した際に当時の日本人は、まつりに相当する意味の漢字を選んで充てるようになり、「祭り」・「祀り」・「奉り」・「政り」・「纏り」などと表記されるようになる。

「祭り」は御霊(みたま)を慰めるもの(慰霊)です。「祭」は、漢字の本来の意味において葬儀のことであり、現在の日本中国では祭りは正反対の意味と捉えら、古神道の本質の一つでもある先祖崇拝が、仏教と習合(神仏習合)して現在に伝わるものとして、お盆(純粋な仏教行事としては釈迦を奉る盂蘭盆があり、同時期におこなわれる)があり、先祖崇拝の祭りとされる。

しかし、現代では、祭りは宗教色を薄めた風物詩であり、コミュニティーの交わりの場となっている。賑やかに行うのが特徴である。

(キリスト教では)

 毎週日曜日をはじめとした教会の定める祭日(教会暦において、日曜日は主日と呼ばれる祭日である)に礼拝が行われ、賛美や祈祷とともに主の晩餐に基づくパンとワインの分かち合いが行われる。これを正教会では聖体礼儀カトリック教会ではミサ(聖体祭儀)聖公会プロテスタントでは聖餐式と呼ぶ。これらはキリスト教の祭の一種であるが、キリスト教では「祭祀」という言葉は用いられない。クリスマスは降誕祭、イースターは復活祭と呼び、礼拝のあとに御馳走を皆で食べることなどが行われているが、礼拝することが教会の祭りとなっている。



 レスポンス 感謝します

〇いつも、聖書の御言葉とお祈りのメール、ありがとうございます。
〇昨日も恵みをありがとうございます
〇 今朝もありがとうございます。
〇おはよう御座います  「聖句」 お祈り 有難うございました。
〇竹谷先生、礼拝のご奉仕ご苦労様でした
〇竹谷先生が、時々、咳き込まれても、それでも静かに熱く語られる時間そのものが、今週の糧になっています。
(この日体調不良でしたので、祈られていました。) 


ACCA異文化理解研究推進会  ながれのほとり前号  今日の聖句 
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