ながれのほとり
 
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 2024年  9月 20日   №364        主筆・牧師   竹谷 敏朗


マルコ物語
 
マルコは私の義理の弟である。(マルコとはホームページ上で使っていた彼の名前)マルコがいつからイタリア好きになったのか、わからない。マルコはアンナと結婚して三人の子どもをもうけている。この家族はよく旅行する人たちであった。マルコもアンナも公立学校の教師として勤めていた。夏休みにはマルコの運転する車で家族旅行するのが常であった。マルコは旅行好きで、日本国内の各地を旅行したのち、海外に行くようになった。おそらく、そのなかで行ったイタリアに興味を引かれたのではないかと思われる。子どもたちが成長した後は、マルコは単身で、長期の休暇のある時にはイタリアに出かけて行っていた。それは何十回にも及んでいる。今年始め、私はマルコから「イタリアへ行きたい」というホームページを作っていると聞き、早速アクセスしてみた。そして驚く。そのボリュームの多さにびっくりする。それぞれのタイトルについて取り上げられている項目の多さにも感心した。
それは、また、マルコの性格について深く知ることになった。ホームページの初めのページに書かれている「イタリア紹介」の項を以下に記してみる。

「イタリアについて」

・地図をひとめ見るだけで風光明媚さが漂ってきますね。国土は  山がちで海に囲まれている どこかの国そっくりです。人口1億2千万の国と比べると人口約6千万で半分くらい、面積は少し小さめです。
・北にアルプス山脈をいただき、アペニン山脈が半島を貫いています。この2つの山脈の間に ポー川が流れポー平原が広がっています。まさにイタリア最大の農業地帯!!これは過去のはなし、今は最大の工業地帯になってます。
・長くつを取り巻く海が地中海で、靴はアドリア海とティレニア海という海域に挟まれていて、海あり山ありという感じです。
・北はアルプス山脈から南はアフリカ大陸に近いシチリア島まで 変化に富んだ地形と風土はこの国の地方文化の多様性に繋がります。
・「永遠の都ローマ」「花の都フィレンツェ」「水の都ヴェネツィア」「カンツォーネの都 ナポリ」「モザイクの都ラヴェンナ」「~の都~」はまだまだ続きます。町ごとの特色が 明確で、サッカーチーム(セリアA・B)の存在(日本の高校野球に似ている)が地域ナショナリズムを盛り上げています。
・歴史的都市の街並みは様々な時代の要素が重なって味わい深い雰囲気を生み出しています。ゆっくり時間をかけて形成されてきた都市です。鉄、ガラス、コンクリート、で囲まれた均質な現代の都市とどんなに違うことでしょう!!
・遠い昔、ローマ帝国の拠点でしたが、滅亡後は千数百年間、一つの国になることはなく、それぞれ独立した国々の集まりでした。これら国々が旺盛な経済活動、戦争、同盟を繰り返すなかで、カトリック教会・人文主義・ルネサンスの発祥地としてヨーロッパ文化に 大きな貢献をしてきました。
・受け継がれた文明の名残りは、世界で最も重要な芸術(ユネスコ世界遺産登録数 世界一)となっています。
・19世紀後半には統一運動によって1つの国にはなりましたが、20世紀にはいると長いファシズム独裁が続きました。戦争末期には内戦のような悲劇を経験しました。・家族の重要性は今日でも人間関係において決定的な役割を演じ続けています。
・これらの遺産を守り、地域の多様性を尊重しながら、国としての統合を図る、年間17~18万人にも及ぶ移民受け入れ、などイタリア国民と政府の試練は続いています。

 マルコはもうこの世にいない。突然にこの世を去った。その日、マルコの運転する車で、アンナは買い物に出かける。しばらく走行した後、車は道路の端に寄って停まる。アンナがどうしたの?と声を掛けても返事がない。ハンドルを握ったまま眠っているように見えた。アンナはマルコの異変に驚き、救急車を呼ぶ。その時点で、マルコの心臓はとまっている。救急車は蘇生のできる病院に彼を運び、病院では必死に蘇生を試みるが、マルコはそのまま帰らぬ人となった。アンナは何がどうなったのか理解できないまま現実と向き合わねばならなかった。子どもの一人が急な知らせを聞いて病院にかけつけた。彼女がマルコの体に触れると、まだ温かったという。朝、買い物に出かけたアンナは、夕方、マルコの遺体とともに帰宅するのである。家族のだれもが、信じられない状況に追いやられている。私も、アンナから、「夫がなくなりました」とのメールを受け、目を疑った。どうしてこんな悲劇が、この家族のうえに襲ってきたのだろうと。
 アンナと子どもたちは、悲しみのなか、立派にマルコの葬儀を行っている。マルコの突然の訃報を聞いて多くの人がお別れに来てくれた。マルコの晩年の働きのなかに地域での社会福祉への貢献があり、葬儀では市長からの弔辞も読まれた。家族を愛し、人々に尽くし、イタリアに魅せられたマルコには、私の知らなかった多くの物語が残されている。その物語は娘ジュリエッタが、マルコの残したもののなかから書きまとめて、受け継いだ父のホームページ上で連載を始めている。


イエスさんは夢見人
                                                                                                                                                                                
       多治見修道院司祭  竹谷 基

 
「I have a dream ! 」 子どもは夢見人だ。無から有を生み楽しむものだ。腹が空いたら泥饅頭を作り満たす。暑い日にはシャボンに絵具を振りかけてイチゴミルクだと言って氷菓子を食った。草原には段ボールや廃材で小屋を作り親に内緒、隠れ家、陣地となって駆け巡るのだ。拾ってきた茶わんや瓶でままごと遊び 「はい、お父さんご飯ですよ」と、小さな妹、弟には「こぼしたら、エンマさんに叱られるわ」とお母さん役、そうアイデア一つでスーパーマンから蛙、蛇になり、みんなで散歩、みんなで楽しく幸せにする!!
 他方 、子どもの世界にも暴力、いじめ、差別がある。 ガザやシリアのように四六時中 戦争している中では心は荒れむばかり。けれど 、やっぱり 人を喜ばせ 楽しくさせることが一番だと発見する。
 イエスさんはドリーマー。 今から2000年前も、 今のガザ 近くに住み 、同じく戦争、 暴力、飢え、  病気 、特に子どもたち 、お年寄り 、病人たちが 苦しめられていた。イエスさんは 考えた。 みんなの苦しみがなくなり、笑顔で暮らすにはどうしたらよいかと、思い出した。イエスが兄弟姉妹近所の子供達と一番嬉しく楽しかったことを。  そうだ、 みんなとご飯を食べよう。 老若男女、 外国の人、 障害のある人、 社会の片隅に置き去りにされた人たちと一緒に 何時でも腹いっぱい食べよう。 アンパンマンのように、お腹が膨れたらだれも喧嘩やいじめをしない。 それが本当の正義なのだ 。

 今から約60年前 、イエスと同じように「主の食卓を夢見た人 」米国人 マルティン・ルーサー・キング 牧師 がいた。彼は 「I have a dream ー私には夢がある! August 28」と 声を張り上げた 。それは、いつの日か、 ジョージア州の赤土の丘で、奴隷の息子たちと、 奴隷 所有者の息子たちが、兄弟として同じテーブルに着くという夢である、と長く苦しい 黒人 差別撤廃までの大行進を始め、 牧師の死を乗り越え 今なお続けられている。
 また 、医者の中村 哲さんは アフガニスタンの何十万の人々を飢餓 から救う「夢を見て」干ばつ地に 水を通し 緑の大地に蘇らせる活動を36年間続けた その意思は今なお引き継がれている。
  さあ 青年の皆さん、「 夢がある」との合言葉のもとに ガザの子どもたち、アフリカの貧しい子供たちが 楽しく、幸せな人生となるよう、 カトリック教会を ドリームランドにしたくありませんか。面白いですよ。 楽しく 喜びましょう。

 ・本稿は竹谷基神父
が、生前に、司祭養成後援会の機関紙のために書いていたもので、機関紙は神父の帰天(2024.03,23)後に発行・配布されています。


〇今年の初め、友人の鈴木武仁牧師(イエスの友会会長、東京信愛教会牧師)が、バイク運転中に接触事故に遭い、救急搬送されました。四か月余りの入院生活を送られてましたが、奇跡的に回復し、再び、牧師として、会長としての働きができるようになっています。彼は「祈りによって癒された」と、彼のために積まれた祈りと、祈りの友に感謝しています。ハレルヤ!
〇本当に暑い日が続いています。暑い、暑いと言いながら、このときも「守られて」過ごすことができていることを感謝いたします。
〇今号より表題名ひらがな「ながれのほとり」に改めました(旧「流れのほとり」
)。


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