ながれのほとり   2025年3月号      主筆 竹谷 敏朗


信仰の交わり、霊の交わり

 Aさんと私が出会ったのはもう 40年以上の前のことである。 その時、私は駆け出しの牧師であった。Aさんはバリバリのビジネスマンで、とてもハンサムで、語学が堪能で、商社マンとして海外によく出張に出かけられている。しかし、教会では物静かで、いつも決まった席に座って礼拝に集中されていた。その様子はその後の生涯でも変わることがないものである。そのAさんに、私たちの会の顧問になっていただいたのは、それから20年後の2000年のことでした。私たちの会は、年に数回、集まりを開いているだけの小さな働きではありましたが、Aさんは毎回出席して会の集まりを助けてくださっています。その会の活動で、私たちはAんのもう一つ、別のタラントを見ることができました。それは”郷土史家”として、キリスト教と日本との間を取り持ってきた宣教師たちの働きを地道に研究されて、それを明らかにされていたことでした。私たちの会では都合3回にわたって「東西文化の邂逅」と題して、お話を聞いたのであります。 
 そのAさんが2023年の暮れに脳梗塞で倒れられたという知らせがありました。私はただただ、神様の憐れみを求めて、氏がその病から回復できるように祈っています。その闘病はおよそ1年数ヶ月におよびました。昨今の病院での患者さんへの見舞いは家族に限られる場合が多く、親しい方であってもなかなか面会できる状況にはありませんでした。けれども、ご家族の方がAさんのこれまでの教会に通っている姿をご存知であられたので、彼の出席している教会に向かって、「どうぞ、お見舞いに来てください。私たちの家族の一員として 病室に入れるようにいたしますから」と言って呼びかけてくさっていました。それは、教会のある方が、毎週、お見舞いのハガキを送っていたことに対する応答でもあったのです。それで私はAさんが入院して半年後にやっと、そのハガキを送っていた方と一緒に病室を訪れ、Aさんと顔合わせ、そして感謝の祈りを、また回復の祈りをしたのでした。それからもAさんのための祈りを続けています。不思議なこと、何度か 危険な状態に陥った中にも関わらず回復して、入院生活を続けておられました。そのことを思い巡らしている時に、Aさんは御自分のご家族の方々が救われるようにと願って病気と戦ってる、頑張っておられるのではないかという思いにいたりました。なるほど家族の方がしばしば、教会の方々を病室に招いて、面会させている。そのそばでAさんと教会の方々との会話や祈りをじっと見守って聞いておられる。その有様を思う時に、Aさんは自分がこの地上で与えられた最後の勤めとして、ご自身の家族の救いを願っておられる、祈っておられるということを実感したのでした。確かにAさんの願い通りに、ご家族の方々は教会に対して良い思いを持って接してくださっていました。
 私はAさんの病床に、Aさんが亡くなる1週間前に訪れています。その時、私は讃美歌の「慈しみ深き」の物語を紹介し、そして枕元で、慈しみ深きの讃美歌を歌ったのでした。Aさんは、ずっと聞いてくださり、何度も頷いてくださって、声は出せないけれども心の中で一緒にこの賛美を歌っているということを思わされる状況になっていました。

 私はもう目も開けられない、言葉も交わせない、そんな状況の中におられるAさんが、意識をしっかり持って、ご自分の望んでいること、願ってる事を、見舞いに来る人たちに託しておられる、そんな姿にとても心を打たれたのでありました。1週間後の日曜日の夕方に、ご家族の方から、Aさんが危篤状態になっているので祈ってくださいと連絡を受けました。 そこで、私は大きな声で、Aさんに向き合ったいるようにして、「Aさん、感謝します。 神様のお守りがあって、こうして、信仰による霊の交わりを通して、私と会話することはできることを本当に喜んでいます。どんなことがあっても、神様は私たちの味方です。 私たちの交わりをこれからも続けさせてくださいます。どうぞ今の苦しみを主に委ねて、心穏やかに、この時を過ごすことができるように神様に助けを求めましょう」と祈ったのです。 そして、その翌日にAさんが天に引き上げられたということを知らされたのでした。本当にこの1年間 病院の中で 療養生活をされたAさん、それはとても苦しい、辛いものであったと思われます。しかしその中にあっても命のある限り、ご自身の使命として、ご家族の方にキリストの福音を聞かせた、キリストの救いを持ってもらいたいという願いのもとに、力を振り絞って信仰を持って入院生活を送られたということを、私は痛感し、神様のなされることは本当に大きな御業であること、神様の力は弱いところにたくさん表されてるというこの聖書のみ言葉を改めて感謝して受け止めたのであります。私たちはAさんと地上でお別れすることになりました。けれども、私たちには希望があります それはまた 天のみ国において Aさんとお会いできる、その喜びであります。 お互いに神様によって救われ、信仰を持って交わりを続けることができた、そのことを心から感謝し、神様にAさんとの信仰による霊的な交わりの機会を与えてくださったこと、そしてAさんの存在そのものを心から感謝するものであります。


追悼ミサ    
          共同祈願を祈って

 去る2月15日、昨年3月23日に天に召された、私の弟、竹谷 基の追悼ミサが、生前、彼が関わっていたいた、「福信館 炊き出しの会運営委員会」の呼びかけによって行われています。。

追悼ミサは讃美歌「主よ、みもとにいかん」の讃美によって始まり、司式者の祈り、参加者の聖歌讃美、司式者の説教、参加者による共同祈願、そして礼典(ミサ)、最後に讃美歌「神ともにいまして」を讃美し讃美しました。その後、故人への追悼の言葉が4名の方々よって述べられています。神さまの導きにより、故人を偲ぶ相応しいとき与えられ、感謝しています。私は追悼ミサに妹とともに出席しました。そして、式中で祈られた共同祈願の祈りの時に心をうたれ、今もなお故人を偲んでおられる方々とともに祈ることができたのでした。

グレゴリオ竹谷 基神父への共同祈願 

(司祭) 私たちに先立って復活された主キリストを信頼して、父である神に祈りましょう。
(先唱)  竹谷神父様、 神様の慈しみの中でゆっくりとお休みください。私たちは、竹谷神父様が生涯をかけて共に生きてこられた小さくされた方々と共に歩むことを目指して毎日頑張っています。どうぞ私たちの心が開かれ、人々の関わりの中で呼びかけておられる神様に答えられるように私たちを見守り励ましてください。(一同)  神よ、私たちの祈りを聞き入れてください。

(先唱) 愛である神様、キリストに倣い小さくされた人々により寄り添う生涯 を終えられた竹谷神父様の中にキリスト者を見ました。 私たちも無関心から、神の愛を伝えるものと変えられますように 。(一同)  神よ、私たちの祈りを聞き入れてください。

(先唱) 竹谷神父さまのこれまでの司祭生活を支え、 励まし、 あふれる愛で育んでくださった、親、 友人、知人のために心から感謝を込めて祈ります。 神父様を支えてくださった方々に慰めと希望を与えられ、主が豊かに祝福してくださいますように 。
(一同)  神よ、私たちの祈りを聞き入れてください。

(先唱) 小さくされた人々と共に歩み生涯を捧げた竹谷神父様の想いを受け継ぎ互いに大切に生きていけますように。
(一同)  神よ、私たちの祈りを聞き入れてください。

(遺族の代表者あるいは身近な者がささげる祈り)

(先唱) いつくしみ 深い神よ、私たちのもとを去ったグレゴリオ竹谷 基に安らかな憩いをお与えください 。生前、私たちの至らなさから故人を悲しませたり、傷つけたりしたことをおゆるしくださ。主イエス・キリストのゆるしの恵みによって、いつの日か永遠の喜びを共にすることができますように。 (一同)  神よ、私たちの祈りを聞き入れてください。
(先唱) 永遠の安息を与えてくださる神よ、 この世からあなたのもとに召されたグレゴリオ竹谷 基のためにお願いいたします。故人の思い、ことば、おこないによる罪が、あなたの救いの恵みによってゆるされ、聖人たちが集う御国に入ることができますように 。(一同)  神よ、私たちの祈りを聞き入れてください。

(司祭)  わたしたちの希望である父よ、 あなたは信頼する者をいつも助けてくださいます。 あなたが愛された者の死を顧み、その生涯をささげ物として受け入れてください。御子キリストのうちにあって復活の栄光にあずからせてくださいますように。     わたしたちの主イエ・キリストによって。

(一同) アーメン。


今日の聖句から   2025年4月(ここをクリックすると最新版に繋がります)

4月1日火曜日
「種を蒔く人に種を与え、パンを糧としてお与えになる方は、あなたがたに種を与えて、それを増やし、あなたがたの慈しみが結ぶ実を成長させてくださいます。 」  コリントの信徒への手紙二 9:10

ここでパウロは、与えることに伴う霊的側面について話しています。与えることによって物質的に与えられるだけなく、霊的祝福をもたらすと。
 イエスさまは、「天に宝をたくわえなさい。」と言われましたが、分け与えることによって、人は義の実をまし加えることになるのです。
 そして、分け与えることは神への感謝を生み出します。なぜなら、この奉仕のわざは、聖徒たちの必要を十分に満たすばかりでなく、満ちあふれるようになるからです。 コリントの人たちがささげることによって、パウロを初めとする教会の使者たちに、神への感謝が心に芽生えます。この感謝が、物質的な金銭にもまして、尊い霊的財産となったのです。

(祈り)
天の父なる神さま、あなたは、日々の糧を備え、私たちに生きる力を与えておられます。なんと感謝なことでしょう。どうか、この気持ちを持って、私たちを分け与える者にならせてください。御子イエスさまは「受けるより与える方が幸いであると」と教えておられます。主よ、与えることを通して、あなたの祝福に預かることをかなえてください。主のお名前によって祈ります。


3月4日水曜日
「あなたがたは、今は罪から解放されて神の奴隷となり、聖なる生活の実を結んでいます。行き着くところは、永遠の命です。 罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。」ローマの信徒への手紙 6:22-23

ここで二つのことが対比されています。報酬と賜物です。私たちは罪を犯すことにより、その当然の報いとして死に至ります。けれども、永遠のいのちを持つときには、私たちが行なったことではなく賜物として受け入れるのです。神は、イエス・キリストにあって行なわれたものを、私たちに与えてくださいます。それを受け取るのが私たちの仕事であり、私たちがしなければいけないことは、唯一、信じることなのです。

(祈り)
恵み深い天の神さま、私たちの前には(罪の報酬)、(神の賜物)が置かれています。罪を自分の主人として、罪に仕える者は、罪に値する報酬を得ます。それは死です。しかし、神を自分のとする者は、、恵みの賜物として、(キリストにある永遠のいのち)をいただきます。神さま、私に永遠のいのちの中を歩ませてください。



レスポンス
〇  お祈りをありがとうございます。手術台にのるとき、すべてをお任せますと、祈れました。感謝です。
〇今日も竹谷先生のメッセージに恵みと、希望の光を感じ、感謝しました。
〇おはようございます。「聖句」お祈りありがとうがざいました。

〇ながれのほとりへのお祈りとご献金を感謝します。



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