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大きな愛
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十字架は教会のキリスト教のシンボルです。教会といえば十字架が掲げられているところです。十字架は罪人を処刑するためのものでした。神の御子イエスも罪人としてカルバリの丘で十字架に磔にされています。なぜ、イエスは十字架の刑を受けられたのでしょうか。「それは世が救われるため」と聖書は明らかにしています。なぜ世は救われなければならないのでしょうか。誰が世を救うのでしょうか。それはどのようにして実現したのでしょうか。
〇聖書は神の御子が世に遣わされたと記しています(ヨハネ福音書3章17節)。それは世を裁くために遣わされたのではありませんでした。最初の人アダムとエバは罪を犯したときに、最初に取った行動は、神から離れることでした。彼らは自分たちのしたことが明るみに出ることを恐れて隠れています。自分の心と行いが明るみに出ることを恐れて隠れたのでした。これが神の導きに背く人の心の状態です。その心を隠すために偽りを語るようになります。それは決して望んで行っていることではなく、喜びも平安もない悲しい生き方になっています。イエスは神の前から隠れなければなくなり、平安を失った人々を裁くのではなく、助けるために、明るく振る舞うことができるように、自己嫌悪から救い出すために遣わされたのでした。イエスはそのために十字架に架かられたのでした。御子を信じる人は、御子とともにすでに裁かれたので、もはや裁かれることはありません。
〇神は世を愛されたのです。(ヨハネ3章16節)。聖書は神がおられることと、その神がこの世のすべてのものを愛されていること、すなわち神が愛であることを伝えています。世とは、創られたこの世界のすべての被造物とそこに住む私たちのことです。神は創造主として働いておられます。旧約聖書では、神がたくさんの奇跡と掲示を与え、民を守られたことを記しています。しかし、民は神の存在を信じない不信仰を繰り返しました。新約聖書にもイエスが多くの驚くべき教えとしるしを行われたことを記していますが、民の指導者たちはイエスが神から遣わされたキリストであると信じようとしませんでした。イエスが民の過ちと愚かさを厳しく責めたからです。
〇神は独り子をお与えになりなりました(ヨハネ3章16節)。神の愛はイエスの十字架によってはっきりと示されています。神は人間の不信仰や不道徳のすべての責任をキリストに負わせ、身代わりの死を通して贖っておられます。今や、贖いは日用生活の恩恵となっています。代価を払って買い物をすると、お店はポイントを還元しています。つまり、自分で売ったものを自分で買い戻しているのです。これこそが贖いなのです。神は御自分で創られた世界を愛され、不信仰によって死に渡されるべき人々をキリストの十字架という代価を払って買い戻してくださったのです。キリストの十字架は神の犠牲を伴った愛を表しています。この十字架によって、人は苦しみから救われることができています。
※先日、キリスト教のテレビ番組で、「その大きな愛によって」という歌を、オーケストラと合唱団が讃美するのを聞きました。ある音楽家の女性が20年来患っている病気の痛みのなかで作られたものです。彼女は言っています。「私は20年来顔の痛みに苦しんできました。その痛みのなかで、これは誰にもわかってもらえないと苦しんでいましたが、イエスさまだけが分かってくれました。イエス・キリストの愛は、私の孤独と思いのために十字架にかかってくださった大きな愛でした」と。 そして歌うのです。「痛み苦しみの中で ただ主を信じて カルバリ丘に立つ 十字架を見あげよう 主イエスは十字架で 全ての病背負われて その大きな愛によって 私たちは癒された」 「孤独と悲しみの中 涙を流すとき 心の扉を開いて 主イエスを迎えましょう 主の御手に覆われて 悲しみは消え去り その大きな愛によって 平安に満たされた」 「罪の深さを嘆き 主の愛の深さを知る ただひとり主イエスこそが 私たちの救い主 神は御子を与えられた 私たちの罪のため その大きな愛によって 私たちは救われた」 彼女は私たちに最善のことを為される神の愛によって生かされている喜びを歌っています。
昨年10月 敬愛する中島愛子先生を天に送り、そのお家に住人がいなくなりました。そんな中で愛子先生の子どもたちが、私に「この家に移って来て住みませんか、思い出深いこのところで、残りの人生をゆっくり過ごしてください」と声を掛けてくれました。私が40年あまり、同じところに住み、その所も老朽化して不便になっていることをも気にかけて申し出てくれたのでした。その申出を受け入れて私が引っ越しする前に、彼らは私が住めるように、そのお家を片づけてくれ、また私の住んでいたところもきれいに片づけてくれています。そして、2025年の年末12月26日に引っ越ししました。
私は、引っ越しに際して、思い切ったことをしています。それは、最小限の要るものだけを持ち出すことでした。具体的には着るものと最小限の書物と生活用品です。その他のほとんどのもの、家具電気製品書物資料などを、業者の方に搬出と処分をお願いしています。いわば終活の始まりを行ったのです。今年、喜寿を迎える私にとっての相応しい暮らしを始めることになりました。ここにも神さまの愛を感じています。
私 励まされました
昨年クリスマスを迎える前のときに、ある見知らぬ方からメールをいただきました。日本キリスト教団の牧師の方で、25年前に大阪キリスト教短期大学神学科を卒業された方です。彼はキリ短大がどうなっているか、ネットで検索していたところ、中島 守先生が亡くなっておられること、それでも先生のお考えに基づく働きが続けられている記事を見つけられ、私あてにメールを送ってくれたのでした。彼は神学科在学中に、中島 守先生によって多くのことを教えられたことを、今も大切にしている、今ならもっとよく理解できたことを話してくれ、私を励ましてくれました。まったく思いもよらぬメールです。この年2025年に、中島守先生の始められた活動の仲間を相次いで天に送って、弱気になっていた私を目覚めさせるものでした。おりに触れて与えられる神さまの導きを感じさせられたのです。
レスポンス 感謝します
〇日曜日の礼拝では受難週を迎える私達に神様からの御言葉を頂き、感謝します。
〇いつも、聖書の言葉とお祈り、ありがとうございます。
〇先生のメールを読んで、先生が良い住居へ引っ越しなさったことと、それは神様が導かれたことだとわかりました。
〇新しい生活を始められた竹谷先生のご健康と御多幸と尊いお働きのために祈っています。
〇ながれのほとり 読んでいます。体調には十分気をつけてください。
※尊いご献金、郵便切手をお送りいただきました皆様にお礼申し上げます。
ACCA異文化理解研究推進会 ながれのほとり前号 今日の聖句
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