今日の聖句 2024年10月 nagarenohotori
聖句は基本的には新共同訳聖書を使用しています。
10月31日宗教改革記念品
「 今、わたしは知った 主は油注がれた方に勝利を授け 聖なる天から彼に答えて 右の御手による救いの力を示されることを。 戦車を誇る者もあり、馬を誇る者もあるが
我らは、我らの神、主の御名を唱える。」 詩編 20:7-8
この章は、ダビデがアンモン人、スリヤ人を打ち負かした際の祈り(2サムエル記10:14-19)と考えられているが、内容は、国民が王のために祈るべきことを教えている。王の計画に対する信頼が告白され、王が主の力に満たされて、主にあって勝利し、主の御名の御旗を高く掲げることができるように、ととりなすものとなっている。
(祈り)
天の神さま、あなたの造られた世界の中で、あなたに従う者たちが攻撃を受け、苦しみの中にいます。だからと言って、武器を持って戦ってはならないのです。戦われるのは主だからです。神さま、どうか、私たちの行くてを導き、私たちの中にあって、私たちのための戦いに挑み、救いの力を示してください。
10月30日水曜日
わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。
コリントの信徒への手紙一 15:58
労苦というのは、その報いが見えにくいものです。特に愛の労苦は、むしろ報われないことが多 いです。キリストの愛は、罵られている人にも罵り返さないような、敵をも愛することだし、だれも報
いてくれないところで労苦するからです。しかし、主はその働きや愛を忘れたりはしません。必ず、報いてくださるのです。
(祈り)
父なる神さま、信仰を持って歩めることを感謝します。どうか、信仰にしっかりと土台を据えることができますように。また、福音のもたらす希望から外れることがないように。福音の真理を曲げる働きかけに負けないように。心が乱されて良いことを忘れることがないように、助け導いてください。
10月29日火曜日
そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。」
マタイによる福音書 11:25 新共同訳
イエスは、ご自分を知るようになった者のことを「幼子」と呼んで、父なる神をほめたたえられました。そして、賢いものや知恵あるものには父のみこころが隠されていることを語られています。もし自分の知恵によって神のことを知ることができれば、その人は、ただ神のみを誇るでしょう。したがって、だれかがイエスを知るようになったら、本人ではなく神がほめたたえられるのです。
(祈り)
天にいます父なる神さま、御子イエスは、人は、幼子のようにならなければ神の国に入ることができないと、教えておられます。幼子は、初歩の教えしか知らず、未熟で、多くのことを知りませんが、イエスに父の姿を見て、素直に応答したのです。私たちがイエスを知るのに要求されるのは、深い学識ではなく、神の言われることを素直に受け入れる姿勢です。神さま、どうか、あなたの仰せになる言葉を素直に聞くことができますように、聖書の言葉を受け入れて行うことができますように、私たちを整えて、神の深みを理解することをかなえてください。
10月28日月曜日
「わたしは絶えず主に相対しています。 主は右にいまし わたしは揺らぐことがありません。 わたしの心は喜び、魂は躍ります。 からだは安心して憩います。
あなたはわたしの魂を陰府に渡すことなく あなたの慈しみに生きる者に墓穴を見させず 命の道を教えてくださいます。 わたしは御顔を仰いで満ち足り、喜び祝い
右の御手から永遠の喜びをいただきます。 詩編 16:8-11 新共同訳
主が右にいてくださることによって、三つの結果が出ます。一つは「喜び」です。いつも喜んでいることができます。次に「楽しみ」で、「魂は踊る」と言う。うれしい、と言い換えてもよいでしょう。そして三つ目は、「平安」です。「からだは安心して憩う」と言っています。
(祈り)
天の神さま、あなたに見いだされ、その教えに導かれ、養われている恵みを感謝します。あなたへの信仰は揺らぐことがありません。この信仰は、今の喜びだけでなく、将来への希望をももたらしてくれます。主よ、どうか、私に命の道を教え、永遠の喜びに至る信仰をもち続けることができるように導いてください。
10月27日日曜日
「 賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。 務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です。
」 コリントの信徒への手紙一 12:4-6
この個所で注目するのは、三位一体の神が紹介されていることです。御霊は同じ御霊です。主は同じ主です。そして神は同じ神です、とパウロは言っています。この三位一体の神を私たちはあがめているので、私たちの賜物や奉仕や働きも、それぞれ異なるのですが一つにされている、というところがとても大事です。
(祈り)
天の父なる神さま、私たちは同じ人でありながら、だれ一人、他の人と同じ性格、能力を持っていませんが、同じ霊によって賜物が与えられ、同じ主によって務めが与えられ、同じ神によって一つにまとめられています。神さま、どうか、三つにして一つであるあなたの働きのように、私たち、主に従うものを一つに合わせ、あなたの教会を建てあげてください。
10月26日土曜日
主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。 主はわたしを青草の原に休ませ 憩いの水のほとりに伴い
魂を生き返らせてくださる。 主は御名にふさわしく わたしを正しい道に導かれる。 詩編23:1-3
ダビデは、自らを一頭の「羊」、そして神を「羊飼い」としております。(v1)羊は、弱い動物です。足が遅く、獣に襲われ易く、また目が悪く、自分で牧草を見つけるができないのです。荒地が多く、水の乏しいパレスチナにおいて、羊飼いは、先に立って羊を導き、また命がけで羊を獣から守りました。羊飼いあっての羊でした。そして、羊飼いなる神に導かれていく歩みを「私は、乏しいことがありません。(v1)」と歌い、その豊かさを具体的に述べていきます
(祈り)
天の父なる神さま、羊飼いが、荒地の中で緑の牧場に羊を導き、牧草を食べさせ、また、水場に伴われ、水を飲ませるように、私の日々の歩みを支え導き、必要を備えてください。また、ただあなたの憐みによって祝福の道へと導いてください。真の羊飼いであられる主イエス·キリストのお名前によって祈ります。
10月25日金曜日
「諭し(教訓)をとらえて放してはならない。 それを守れ、それはあなたの命だ。 神に逆らう者(よこしまな者)の道を歩くな。 悪事をはたらく者の道を進むな。」
箴言 4:13-14 新共同訳 ( )内は口語訳
父親が子に、愛情深く語り掛けている。そこで語られるのは、禁止事項ではない。あれをしてはいけない、これをしてはいけないというのではない。ただ知恵を愛し、知恵に基づいて生きるように教えている前向きな関心である。
(祈り)
父なる神さま、人が進む道には様々なものがありますが、余計な道に首を突っ込んで、自分の人生をいたずらに傷つけることがないように、正しい道筋、幸せの道、道徳的にまっすぐな道、これらを若い人たちに(子どもたちに)教えることができますように。また、ただ学ぶだけではなく、それらの道から目を離さず、心の中心に据えることを導くことができるようにしてください。
10月24日木曜日
「 神よ、慈しみはいかに貴いことか。 あなたの翼の陰に人の子らは身を寄せ あなたの家に滴る恵みに潤い あなたの甘美な流れに渇きを癒す。
命の泉はあなたにあり あなたの光に、わたしたちは光を見る。」詩編 36:8-10
ここに、私たちがすべきことが述べられています。·私たちは神の恵みの尊さの中で身を避けます。·神の家、神殿から出てくる豊かさを楽しみます。·神の輝く光によって希望を抱きます。
(祈り)
恵み深い神さま、あなたは、大きな翼のなかに、私たちを包み込み、嵐や怪獣から守るように敵から守ってくださいます。また、神の家のなかで、信頼する者に、恵みと潤いを豊かに与えてくださいます。そして、私たちはあなたの輝かすいのちの光を見て楽しでいます。神さま、どうか、あなたの存在を信じる私たちに、あなたの変わらない慈しみをたくさん注いで、あなたに栄光を指し示すことができるように、導いてください。
10月23日水曜日
「はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」
ヨハネによる福音書 21:18
ペテロは今まで、自分で願っていることに従って歩いていました。けれども、イエスは、「年をとると、あなたは自分の手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をさせて、あなたの行きたくない所に連れて行きます。」と言われます。自分の願いや意欲ではなく、すべてをイエスにゆだねて、自分の行きたくないところへ導かれるようになります。これは、いやいやながら行なうということではなく、自分の心が聖霊に支配されることを意味しているのです。
(祈り)
天の父なる神さま、三度も主イエスを知らないと否定したペトロは、聖霊を受けて、大胆にイエスの十字架の意味を解き明かす者に変えられています。聖霊が、彼をとらえ、み心を行う者に変えています。主よ、どうか、私たちの上に聖霊を注ぎ、私たちの歩みを導いてください。そして、私たちを、自分の思いではなく、み心を行う喜びに満たしてください。主イエスのお名前によって祈ります。
10月22日火曜日
「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」
使徒言行録 1:8
この節のテーマは、聖霊の働きです。聖霊は「あなたがたの“上に”」となっています。それは聖霊の外側からの働きのことです。外側からの聖霊の働き、私たちを導く働きです。他方、私たちが、みことばを読んだり、祈ったりするときに、私たちを助けてくれる役目を果たすのが聖霊の内側の働きなのです。
(祈り)
天の神さま、ペトロたち、キリストに選ばれた弟子たちの上に聖霊が下りました。それによって、弟子たちは、キリストの証人となっています。そして、主は私たちにも証人となることを約束しておられます。神さま、どうか、私たちの上に聖霊を降してください。そして、イエス·キリストの復活の証人として用いてください。どうか、言葉と行いと祈りの生活に聖霊を働かせてください。尊い主のお名前によって祈ります。
10月21日月曜日
キリストは御子として神の家を忠実に治められるのです。もし確信と希望に満ちた誇りとを持ち続けるならば、わたしたちこそ神の家なのです。
ヘブライ人への手紙 3:6
ヘブル書の著者は、イエスさまが、ユダヤ教の中で支柱とされているいかなるものよりも、さらにすぐれた方であることを示して、イエス・キリストを信じて、告白することを勧めています。
(祈り)
天地を造られた父なる神さま、御子イエスはあなたに対して忠実な存在であり、どのようなときにも、忠実になるべく、ご自分から離れて単独行動をすることがないようにしてきました。神さま、どうか、私たちもあなたに対する忠実な信仰をもち続け、神の家族の一員に数えあげられることを求めて、祈りのうちに、与えられる日々を歩ませてください。
10月20日日曜日
そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした。 わたしの言葉もわたしの宣教も、知恵にあふれた言葉によらず、“霊”と力の証明によるものでした。
それは、あなたがたが人の知恵によってではなく、神の力によって信じるようになるためでした。
コリントの信徒への手紙一 2:3-5 新共同訳
パウロは、コリントに来るまでに、数々の迫害にあいました。暴動が起こり、死の危険にも直面しました。そして、同行していたテモテとシラスはまだコリントに到着しておらず、彼は独りぼっちだったのです。だから、パウロは、肉体的に精神的に弱まっており、恐れさえ抱いていたのです。そのような状態であったのにも関わらず、コリントの町で、大ぜいの人が主を信じました。それは神の力がパウロを通して現されたからです。
(祈り)
天の父なる神さま、私たちに救いに至る力を与えて、信仰を持たせてくださり感謝します。どうか、この信仰を生活のなかで現すことができるように、あなたの霊と力によって導いてください。ともすると、雄弁であったり、おもしろく話すことを求めやすいですが、そうではなく、神の霊と力が、私を通して救い主キリストを証しできるよう働いてくださることを求めて祈りに励むことを行わせてください。
10月19日土曜日
神よ、わたしの若いときから あなた御自身が常に教えてくださるので 今に至るまでわたしは 驚くべき御業を語り伝えて来ました。 わたしが老いて白髪になっても
神よ、どうか捨て去らないでください。 御腕の業を、力強い御業を 来るべき世代に語り伝えさせてください。詩編 71:17-18 新共同訳
ダビデは自分が若かったことの事を思い出し、そして同じように、今もあなたに拠り頼む、と言っています。
信仰生活において、年は取りません。いつまでも若いのです、幼子のようでなければいけないのです。
(祈り)
天の父なる神さま、人生における経験は大切なものです。其れは若い人、未経験な人を教え、導くためのものです。主よ、どうか、信仰の経験をこれからも積みまして、主の御業を語り続けることに励む信仰者にならせてください。
10月18日金曜日
「人の子は異邦人に引き渡されて、侮辱され、乱暴な仕打ちを受け、唾をかけられる。 彼らは人の子を、鞭打ってから殺す。そして、人の子は三日目に復活する。」
ルカによる福音書 18:32-33
イエスの結論は、十字架ではなく復活でした。十字架の道を通られた後で、イエスは神の栄光に輝かれます。復活は十字架によって初めて意味を持ちます。
(祈り)
天の神さま、失敗した人がやり直して成功する、挫折した人が立ち直る、苦労する人が報われることはよく聞く体験です。しかし、鞭打たれて殺された人が三日目によみがえられたのはイエス·キリストの他にはおられないのです。神さま、あなたはこの事によって、私たちに希望をもたらしています。どうか、キリストが私のために負われた十字架の苦しみを受け入れ、復活の恵みに預かれるよう、主イエスのお名前によってお願いいたします。
10月17日木曜日
「何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れてくださる。これが神に対するわたしたちの確信です。」
ヨハネの手紙一 5:14 新共同訳
ここに「神のみこころにかなう願いをするなら」という、願いの種類について書かれています。祈りというのは、私たちの願いを神にかねえてもらうものではありません。そうではなく、神が願っておられるもの、神が考えておられること、神の意思を自分のものとして、自分をとおして神がご自分の願っておられることを行なっていただくことです。
(祈り)
愛する天の神さま、いつも私たちの祈りを聞いて、願いをかなえてくださることを覚え、御名を崇めます。わたしたちは祈りによって、どれほど強められたことでしょう。しかし、あなたはさらに大きな喜びをくださいます。あなたのみ心が現され、キリストがよみがえってくださったからです。神さま、どうか、あなたのみ心であるキリストを理解し、その教えを行うことができるよう求め続けながら歩ませてください。
10月16日水曜日
イエスは目を上げて、金持ちたちが賽銭箱に献金を入れるのを見ておられた。 そして、ある貧しいやもめがレプトン銅貨二枚を入れるのを見て、言われた。「確かに言っておくが、この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた。
あの金持ちたちは皆、有り余る中から献金したが、この人は、乏しい中から持っている生活費を全部入れたからである。」 ルカによる福音書 21:1-4
新共同訳
天国においては、人がどれだけの犠牲を払ったか計られます。生活費の全部を投げ入れたやもめのほうが、金持ちよりもずっと大きな犠牲を払ったからです。
貧しい人たちは、この世の財産により頼むことができないので、神により頼むことをよく心得ています。そして、この世ではなく、後に来る神の国に期待をかけています。したがって、この世の財産にしがみつくことなかったので、大きな犠牲を払うことができたたのです。
(祈り)
恵み深い天の神さま、貧しい人たちは、この世の財産により頼むことができないので、神により頼むことを心がけています。そしてまた、この世ではなく、後に来る神の国に期待をかけています。どうか、この世の財産にしがみつくことなく、神の国を待ち望むことを行わせてください。イエス·キリストのお名前によって祈ります。
10月15日火曜日
「 わたしたちの主イエス・キリスト御自身、ならびに、わたしたちを愛して、永遠の慰めと確かな希望とを恵みによって与えてくださる、わたしたちの父である神が、
どうか、あなたがたの心を励まし、また強め、いつも善い働きをし、善い言葉を語る者としてくださるように。」テサロニケの信徒への手紙二 2:16-17
パウロは勧めを書き送る。
①信仰は、「福音の理解」という基礎の上に建てられるべきものである。 ②信仰は、具体的な行動へとつながるものである
③それゆえ、「教えられた言い伝え」に堅く立ち、それを守るように。 ④つまり、パウロから教えられた再臨に関する教えを信じ、患難の中にあっても揺らぐことがないようにということである。
(祈り)10月15日火曜日
天にいます父なる神さま、御名を崇めます。今日、一日の私たちの歩みをお守りください。どうか、私たちに希望に満ちた望みを与えてください。永遠に変わらぬ慰めを与えてください。必ず御手を伸ばして守ってください。私たちがみ心を行うことができるように導いてください。
主のお名前によって祈ります。
10月14日月曜日
「わたしたちの救い主である唯一の神に、わたしたちの主イエス・キリストを通して、栄光、威厳、力、権威が永遠の昔から、今も、永遠にいつまでもありますように、アーメン」 ユダの手紙
1:25
私たちが神の愛のうちにとどまっているとき、神にしがみつくのではなく、神が私たちをご自分の手から引き離さないで、守っていてくださるのです。そして、傷のない者として、つまり、恥ずべきものがない者として、イエスさまが戻ってこられたときに、神の御前に大きな喜びをもって出て行くことができるよう大丈夫です。私たちのお仕事は、この力強い方の中で憩うことです。この方の御足で、神のみことばを聞くことです。聖霊によって祈ることです。自分も落ちてしまうかもしれないと思って恐れ、人々を励まし、あるいは警戒することです。
(祈り)
造り主なる神さま、私たちを守ってくださることを感謝します。また、イエスさまを私たちの救い主として会わせてくださることを讃えます。どうか、このキリストを通して、栄光が、造り主なる神さまに豊かに現すことができるように、私たちを用いて働かせてください。
10月13日日曜日
「 悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。」 ルカによる福音書 6:28
(祈り)
天の父なる神さま、御名を崇めてほめ讃えます。あなたは御独り子キリストを私たちのところに遣わし、善を行うことを教えてくださいました。その一つは、ロをもって憎む者に善を行うことです。私たちは、しばしば人のいう言葉で傷つけられています。イエスは、そうした人を祝福して、祈りなさいと言われました。神さま、どうか、このイエスの言葉を聞いて、行うことができるように導いてください。イエス·キリストのお名前によって祈ります。
10月12日土曜日
「このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、 このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。
」 ローマの信徒への手紙 5:1-2 新共同訳
義と認められたことによって、私たちは、あらゆる霊的祝福を受けます。その一つは、神との平和を持つことです。私たちは義と認められたので、神との間に平和ができあがりました。また、義と認められたことによって、神の御前に大胆に近づくことができるのです。私たちは、ありのままの姿では、決して神に近づくことはできないのです。
(祈り)
天にいます父なる神さま、私たちが失っていたあなたとのつながりを、キリストの十字架を信じる信仰によって回復できるあなたの恵みを讃えます。どうか、私たちの信仰を強め、さらに豊かな霊的祝福をいただいて、神さまに栄光を帰することを喜んで行わせてください。
10月11日金曜日
「されこうべ」と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。 〔そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」〕人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。
ルカによる福音書 23:33-34
イエスさまの「赦してください」という祈りは、そのまま自動的に赦されるということではありません。主が赦される 時に、それはその犯した罪を悔いて、主に立ち返ろうとしているからこそ、赦してくださいます。悔い改めるということが、罪の赦しがその人のものになる瞬間で
す。イエス様の祈りはまさに、人々が罪が示されて、悔い改めて、神に立ち上がることを祈っておら れるものです。
(祈り)
天の神さま、十字架につけられたイエス様は開口一番とりなしの祈りをされました。イエス様は自分のことなど全く無視するかのように、「父よ、彼らをお赦しください。」と祈られたのです。イエス様は激しい痛みと苦しみの中にあっても最後まで忠実に神のみこころを果たそうとされています。このイエスさまの祈りによって、私たちも赦される者になりました。神さま、イエスさまの十字架を感謝し、私たちも、苦しむことを受け入れ、それに耐えて、忠実にみこころを行えるように助けてください。主の御名によって祈ります。
10月10日木曜日
死者の復活もこれと同じです。蒔かれるときは朽ちるものでも、朽ちないものに復活し、 蒔かれるときは卑しいものでも、輝かしいものに復活し、蒔かれるときには弱いものでも、力強いものに復活するのです。
つまり、自然の命の体が蒔かれて、霊の体が復活するのです。自然の命の体があるのですから、霊の体もあるわけです。 コリントの信徒への手紙一 15:42-44
パウロは復活のからだについて説明しました。
①血肉のからだは死ぬことによって朽ちます。復活のからだは永遠に生きるからだを持ちます。②血肉は卑しいからだですが、復活のからだには栄光があります。③血肉のからだは弱いですし、誘惑も受けます。、復活のからだは強くて、疲れない、病気になることはなく、誘惑も受けません。このように、まったく異なるからだを持って、よみがえりが起きるのです。
(祈り)
天の神さま、御独り子キリストをよみがえらせて、彼を信じる者にもよみがえる道を備えてくださいました。よみがえりによって、私たちの血肉のからだが、復活の、霊のからだに変えられるのです。苦しみも悩みも受けないからだ、栄光の輝きをもつからだとなります。神さま、どうか、このよみがえりのからだに変えられることを信じ、キリストと同じ輝きを現す喜びをを待ち望むことを行わせてください。
10月9日水曜日
神は、このことのために、すなわち、わたしたちの主イエス・キリストの栄光にあずからせるために、わたしたちの福音を通して、あなたがたを招かれたのです。
ですから、兄弟たち、しっかり立って、わたしたちが説教や手紙で伝えた教えを固く守り続けなさい。 テサロニケの信徒への手紙二 2:14-15
(祈り)
愛に満ちる天の神さま、私たちを愛して、御独り子キリストを私たちのところに送り、救いの恵みを与え、キリストの栄光に預からせてくださったことを感謝します。どうか、この愛のうちに留まり、あなたの教え守って、約束された御国に招き入れられるよう歩ませてください。
10月8日火曜日
ところで、あなたがたはかつて、神を知らずに、もともと神でない神々に奴隷として仕えていました。 しかし、今は神を知っている、いや、むしろ神から知られているのに、なぜ、あの無力で頼りにならない支配する諸霊の下に逆戻りし、もう一度改めて奴隷として仕えようとしているのですか。
ガラテヤの信徒への手紙 4:8-9
パウロは、以前異教徒であったガラテヤ人に対して語っています。イスラエル人が律法の教えの監督下にあったように、ガラテヤ人たちも異教の教えと儀式の奴隷になっていました。
ガラテヤ人たちは、神を知ることにより、そのような異教を捨て去りました。キリストにあって自由にされました。しかし、偽教師たちが彼らの教会に入り込み、モーセの律法を守らなければ救われないと教えたのです。その教えを受け入れて、彼らはさまざまな儀式を行ない始めました。
(祈り)
天の神さま、かって私たちは社会に根づいていた宗教の伝統のなかに、知らず知らず身を置いて生活していましたが、キリストの福音を聞くことによって、真の創造主なる神さまを信じて歩むようになっています。けれども異文化の社会にあって、この信仰を保って生きることへの誘惑が多くあります。神さま、どうか、この社会のなかで、少数者であっても、キリストの福音を守って、天の神さまを見上げて歩むことができるようにお守りください。
10月7日月曜日
「もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。 しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。」
マタイによる福音書 6:14-15
イエスは、主の祈りの中の嘆願の一つを強調されています。他人を赦す事が非常に重要であることを、強調されています。イエスは後に、マタイ18章において、私たちが人を赦さなければ、神も私たちを赦さないことをたとえ話を使って説明されています。神が私たちの莫大な額の負債を帳消しにしてくださったのですから、私たちも他人の負債を帳消しにする、つまり赦さなければなりません。
(祈り)
天の神さま、私たちを憐れんで罪深さを赦し、恵みのなかに憩うように導いてくださることを感謝します。どうか、神に赦された喜びを持って、私たちも他の人々の過ちを赦し、聖い歩みを行うことができるように助けてください。
10月6日日曜日
主は倒れようとする人をひとりひとり支え うずくまっている人を起こしてくださいます。 ものみながあなたに目を注いで待ち望むと
あなたはときに応じて食べ物をくださいます。 詩編 145:14-15
私たちはどんなことがあっても、乏しくなることはありません。それは神が守ってくださるからです。神は倒れている者を支えるところに、かがんでいる者たちを起こされるところに、近寄り助けてくださいます。そして、人々の基本的な必要、食事とか、生活の基本となるものを神は責任をもっ
て賄っておられます。
(祈り)
憐れみ深い天の神さま、あなたが私たちのそば近くにおられることを心強く感じています。あなたが私たちを支え、守り、立ち上がらせて、食事をくださるからです。あなたの見守りを今日も覚え、あなたをほめ讃えるときを豊かに持たせてください。尊き主のお名前によって祈ります。
10月5日金曜日
「我々を見捨てないでください。 あなたの栄光の座を軽んじないでください。 御名にふさわしく、我々と結んだ契約を心に留め それを破らないでください。」
エレミヤ14:21
この世で最も恐ろしいこととは、神様に拒絶されることです。もし私たちがささげる祈りと賛美が神に受け入れられないとしたら、これほど悲しいことはありません。神様は私たちの究極的な希望であり救い主なのに、その神様に拒絶されるとしたらそこには何の希望もなくなってしまいます。それはまさに絶望であり、破滅と死を意味します。人は神に背いた結果、その破滅と死を招いてしまったのです。
(祈り)
創造主なる天の神さま、私たちの罪が拡大するゆえに、悲しいことも、辛いことも、争いも、大きくなっています。どうか、私たちに襲いかかる苦難から逃れるために、悔い改めて、あなたに立ち返える事ができるよう導いてください。また、私たちを清くして、あなたの真実さを
とりなしで祈ることができるようにしてください。
10月4日木曜日
この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。
だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。
ヘブライ人への手紙 4:15-16
キリストが戻って来られるとき(再臨)に、私たちのからだも変えられて、新しいからだを持ち、天国の中に入ることができます。
この新しいからだを持つまでは、私たちは肉の弱さを持ちながら生きています。この肉体は罪の誘惑を受けますし、肉体の疲れをおぼえますし、衰えるにしたがって病も多くなってきます。
キリストは地上におられたとき、罪は持っていませんでしたが、肉体の弱さは持っておられました。だから、私たちの弱さが分からない方ではなく、すべてを知っておられる方なのです。
(祈り)
天の神さま、キリストは私たちと同じ人になられ、肉の弱さを体験し、それにうち勝っておられます。だから、私たちは、キリストのもとにあって、罪の束縛から逃れることができると信じられるのです。神さま、私たちは、キリストのそばに近づき、弱さを克服することを願います。どうか、私たちが、約束された御国に入れられるよう、恵みと憐れみを与えてください。
10月3日木曜日
「 こうして、わたしたちには、預言の言葉はいっそう確かなものとなっています。夜が明け、明けの明星があなたがたの心の中に昇るときまで、暗い所に輝くともし火として、どうかこの預言の言葉に留意していてください。』 ペトロの手紙二
1:19
ペトロは、自分が目撃したことよりも、預言がさらに確かであると言っています。
マタイによる福音書は、「預言者を通して言われたことが、成就するためであった。」という言い回しが数多く出てきます。イエスさまの誕生の場所、その系図、宣教、十字架、復活など、約二千年前に来られた来臨によって、実に三百以上の預言が成就したと言われています。そして今、私たちには、イエスの再臨について、千五百以上の預言があると言われています。これらを一つ一つ紐解いて、これら預言のみことばに思いを馳せる必要があるのです。
(祈り)
天の父なる神さま、聖書がすべて神の霊に導かれた人によって書かれていることを、改めて覚え、御名を感謝します。どうか、聖書を読むとき、私たちも神の霊に触れ、心を踊らせて真理の発見を喜ぶことができますように。また、イエスさまの再臨の預言を学んで、待ち望むことができるようにしてください。
10月2日水曜日
イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。 しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」
女は言った。「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水を水水ください。」
ヨハネによる福音書 4:13-15
(祈り)
天の父なる神さま、暑い夏のときを過ごすのにお水を欠かすことが出来ません。そればかりか、生きるためにも身体に水は必要な物です。それが手に入らなくなると、ほんとに辛いことです。同様に霊的な(永遠の)命のために、乾くことがない水がいるのです。神さま、どうか、私たちに飲んでも乾かない水を与え、キリストを神の子として信じて、この日々を歩ませてください。
10月1日火曜日
「主よ、だれがあなたの名を畏れず、 たたえずにおられましょうか。 聖なる方は、あなただけ。 すべての国民が、来て、 あなたの前にひれ伏すでしょう。
あなたの正しい裁きが、 明らかになったからです。」
ヨハネの黙示録 15:4
この聖句は、イエスさまが地上に再臨されて世界の王となられることを讃美しています。イエスさまはイスラエルの君だけではなく、すべての国々の君であり、すべての民族、国民がエルサレムに来て、イエスさまをあがめ、ひれ伏します。それは、イエスさまが地上に戻ってこられるときに、正しいさばきを行なわれるからです。ですから、すべての人が主の御名をほめたたえるのです。
(祈り)
恵み深い天の神さま、イエス·キリストが、再び来られるとのお言葉を感謝いたします。どうか、そのときを待ち望み、あなたに賛美をささげることができますように。また、信じる者が全て省みられ、喜びに預かることができますように。神さま、あなたのご計画が速やかに行われますよう、主の御名によって祈ります。
9月30日月曜日
そこで、イエスは言われた。「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。」 マタイによる福音書 26:52
(祈り)
天の神さま、御子イエスさまはどんなことでも祈ることを教えています。ところが、私たちは困ったことが起きると、祈ることをせず、自分たちの力や判断で問題を解決してしまいます。
多くの人々が、自分の問題を自分の手段で解決しょうとして、自分を滅ぼしてしまうことを行っています。どうか、信仰上の戦い(霊的な戦い)では、剣ではなく、祈りと言う武器によって戦うことを行わせてください。イエス·キリストのお名前によって御願いたします。