今日の聖句 2024年11月 nagarenohotori
聖句は基本的には新共同訳聖書を使用しています。
11月30日土曜日
「愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです。」 ローマの信徒への手紙 13:10
もし、隣人を愛しているなら、その人の妻と姦淫の関係に入りません。もちろん殺しません。その人のことを愛しているなら、盗むこともしません。むさぼりもしないのですが、その人を愛していれば、たくさんある律法をすべて守っているのです。だから、愛によって律法を全うしているとパウロは言っているのです。
(祈り)
主なる神さま、御子イエスさまは、律法の中でもっとも大切な戒めは、「主なる神を愛する」ことと、「自分自身のように隣人を愛する」ことであると言われました。主よ、私たちに神さまと私たちの周りにいる人々を覚えて愛することを行わせてください。この世界は神さまの忌み嫌う悪が満ち、私たちを悪に陥れようとしていますが、それでもなお、愛することを戒めとして保たせてください。主のみ名によって祈ります。
11月29日金曜日
『 わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。
これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。」 ヨハネによる福音書 15:10-11
ここに愛の定義が書かれています。愛とは、相手の戒めを守ることです。イエスは父の戒めを守り、私たちはイエスの戒めを守ります。これは「相手の意思を尊重する」ということです。
愛とは単に感情的なものではなく、意思的なものです。自分の意思よりも、相手の意思を優先させることが愛なのであります。
(祈り)
天にいます父なる神さま、御子イエスを私たちのところに遣わして、あなたの掟を守ることが愛することであると教えてくださいました。使徒パウロも、信仰よりも愛が優れていることを話しています。「たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。
」(コリントの信徒への手紙一 13:2 ) 神さま、どうか、愛を働かす信仰を持たせてください。その愛のなかに留まらせください。そして、あなたの喜びで私たちを満たしてください。主イエスの御名によって祈ります。
11月28日木曜日
「こういうわけですから、人はわたしたちをキリストに仕える者、神の秘められた計画をゆだねられた管理者と考えるべきです。 この場合、管理者に要求されるのは忠実であることです。
」 コリントの信徒への手紙一 4:1-2
パウロは、自分を含む教会指導者たちを、キリストのしもべ、また神の奥義の管理者であると言っています。キリストのしもべ、というのは、ローマのガレー船という船の底で、オールを漕いでいた奴隷のことを言います。
管理者ということばも奴隷のことを話しています。家の主人の財産を管理して、必要なときにお金を引き出す働きをしていた奴隷です。
ローマ社会には大ぜいの奴隷がおり、この種類の奴隷はもっとも低い位の奴隷でした。パウロは、コリントにいる人たちに、「あなたは、教会の指導者のことで議論したり、分裂したりしていますが、私たちは、一番下にいる奴隷なのですよ。」と言っているのです。
(祈り)
天の父なる神さま、私たちをキリストのしもべに召して、役割を与えてくださり感謝いたします。しもべに求められているのは忠実さです。主よ、どうか、与えられた務めを、自分の考えで行うのではなく、主であるキリストの教えを忠実に行うことを得させてください。
11月27日水曜日
「兄弟たち、喜びなさい。完全な者になりなさい。励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいてくださいます。」
コリントの信徒への手紙二 13:11 新共同訳
パウロは、「思いを一つにしなさい。」と言っています。私たちの思いが、判断が一つになるように、と祈っているのです。 これは難しいことですが、これをアウグスチヌスのことばを借りて説明できるでしょう。彼は、次のようなことを言いました、「本質的なことにおいては一致を。二義的なことにおいては自由を。すべてにおいて愛を。」です。
私たちは、決して妥協できない部分を本質的なところにおいては持っていますが、しかしながら、すべてのことが平和に保たれるように努めなければなりません。
(祈り)
愛なる神さま、あなたは使徒パウロを通して「共にいてくださる」と約束しています。その為に、「喜びなさい、完全な者になりなさい、励まし合いなさい、思いを一つにしなさい、平和を保ちなさい」と求めておられます。主よ、どうか、この勧めに従わせてください。この勧めに従って、神さま、あなたががともにおられることを楽しむことができるようにしてください。
11月26日火曜日
「神は、その力を働かせてわたしに恵みを賜り、この福音に仕える者としてくださいました。 この恵みは、聖なる者たちすべての中で最もつまらない者であるわたしに与えられました。わたしは、この恵みにより、キリストの計り知れない富について、異邦人に福音を告げ知らせており、
すべてのものをお造りになった神の内に世の初めから隠されていた秘められた計画が、どのように実現されるのかを、すべての人々に説き明かしています。」
エフェソの信徒への手紙 3:7-9
異邦人に福音を宣べ伝えることをパウロが忠実に行なっておりました。そこで彼はこのことを、「神の恵みによる私の務め」と言っています。私たちが恵みに支配され、恵みによって生き、恵みに基づく考えかたをし、恵みに満ちあふれるようにする。これがパウロの務めだったのです。終始一徹、恵みの世界があることを彼は知らせていたのでした。
(祈り)
天の父なる神さま、あなたの僕として祈ります。あなたの福音を伝えるために、私を用いてください。私が優れているからでなく、平凡であるからでもなく、あなたの恵によって、キリストにある良き知らせを告げる者にならせてください。
11月25日月曜日
「 兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。」
ガラテヤの信徒への手紙 5:13
(祈り)
天の父なる神さま、私は御前に進み出て、賛美をささげます。また、あなたが与えてくださった自由のゆえに感謝をささげます。どうか、この自由をもって悪魔の誘いに引き込まれること無く、正しく用いることができるようにお導きください。
11月24日収穫感謝祭
「(あなたは) あるいは、神の憐れみがあなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と寛容と忍耐とを軽んじるのですか。」
ローマの信徒への手紙 2:4
ローマ書2章では、人に下っている神の怒りについて、それをないがしろにしている人に対してパウロは語っています。神の怒りを他人事のように受けとめ、自分は何らかのかたちで神のさばきを免れると考えることについて、その過ちを正しています
(祈り)
主なる神さま、あなたの慈愛と寛容と忍耐とによって、私たちが守られています。それはまた、私たちが誤りを認め、悔い改めるよう導いています。主よ
あなたの愛がなければ、正しく歩むことができません。どうか、あなたの愛を豊かに、私たちに注いでください。主イエス·キリストのお名前によって祈ります。
11月23日金曜日
思い違いをしてはいけない。 「悪いつきあいは、良い習慣を台なしにする」 のです。 正気になって身を正しなさい。罪を犯してはならない。神について何も知らない人がいるからです。わたしがこう言うのは、あなたがたを恥じ入らせるためです。
コリントの信徒への手紙一` 15:33-34
パウロは再び、コリントにいる一部のだらしがない人々を叱っています。ですから、死者の復活を信じるということは、私たちを正しい生活へと導くのです。いのちはキリストにあって、神に隠されていることを、私たちは知ります(コロサイ3:3)。そして、このいのちを守ろうとあえてせず、永遠のいのちのためにむしろ、失っていくことを考えるのです。
(祈り)
天の父なる神さま、使徒パウロは、「この世と妥協しては成らない」と教えています。私たちは、時として、穏やかに暮らすために、自分の信条を押さたり、
主張を隠したりすることがあります。それが自分をダメにすることに気づかせてください。どうか、私たちが信じると決めた信仰を損なう教えや行動を退け、いつもキリストの教えに固くたって、信じる道を邁進することができるようにお守りください。
11月22日金曜日
イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。
あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」 ヨハネによる福音書 8:31-32 新共同訳
イエスはフォローアップをされました。頭で信じるだけでなく、心とたましいを主におささげすることが必要です。イエスのことばにとどまることが必要です。そのことによって、初めて光のところに来るのであり、光の中を歩むことができます。
(祈り)
愛する主イエスさま、あなたは道であり、真理であり、命です。あなたは私たちを天へと導く道です。神さま、私たちをあなたの弟子としてください。私たちが、あなたの語られることばを守って行うことができるように、聖霊を与えてください。
11月21日木曜日
「愛する者たち、わたしがあなたがたに書いているのは、新しい掟ではなく、あなたがたが初めから受けていた古い掟です。この古い掟とは、あなたがたが既に聞いたことのある言葉です。
しかし、わたしは新しい掟として書いています。そのことは、イエスにとってもあなたがたにとっても真実です。闇が去って、既にまことの光が輝いているからです。
」 ヨハネの手紙一 2:7-8
ヨハネは神の命令について書いていますが、ここ2章で「互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13:34)という命令について語り始めています。
互いに愛し合いなさい、という命令は、決して新しいものではありません。律法学者が、イエスさまに「戒めの中でもっとも大切なものは何ですか?」と聞いたときに、イエスさまは、申命記とレビ記の聖書個所を引用して、「神を愛しなさい」そして「隣人を自分自身のように愛しなさい。」と言われました。隣人を愛することについては、初めからある古い命令なのです。
私たちはこの愛を知っています。私のような者のために、キリストがいのちを捨ててくださった。ですから、この愛は私にとって真実です。
(祈り)
私たちを愛してくださる神さま、キリストはあなたの掟にたましいを吹き込み、光輝くものにしてくださいました。そればかりか、キリストご自身が命をささげて、無条件の愛を教えています。神さま、どうか、無用な争い、憎しみを捨て去り、まことの愛を追い求めて励む者とならせてください。主の御名によって祈ります。
11月20日水曜日
そして、イエスは次のたとえを話された。「ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。 そこで、園丁に言った。『もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか。』
園丁は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。 そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。』」
ルカによる福音書 13:6-9 新共同訳
クリスチャンが、信仰告白をして洗礼を受けたから救われていると思っていたら、それは思い違いです。イエスは言われました。「わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。(ヨハネ15:2)」
イエスと個人的な関係を持っている人は、必ず実が結ばれます。もし実が結ばれていないのなら、イエスとの関係が何かおかしいのです。
(祈り)
父なる神さま、あなたの造られた世にあって私を星のように輝かせてください。キリストの日に、私が無駄な労苦したのではないことを誇れますように。その日、栄冠の冠と永遠の命を受けることができますように、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。
11月19日火曜日
イエスは彼らと一緒に山から下りて、平らな所にお立ちになった。大勢の弟子とおびただしい民衆が、ユダヤ全土とエルサレムから、また、ティルスやシドンの海岸地方から、
イエスの教えを聞くため、また病気をいやしていただくために来ていた。汚れた霊に悩まされていた人々もいやしていただいた。
ルカによる福音書 6:17-18
私たちは、今まで、イエスが教え、病を直し、悪霊を追い出された記事を多く読みましたが、ここでも同じことがくり返されています。彼らは、イエスが話された貧しい者たちであり、自分に必要があるのを知っています。それで、イエスのところに来ていますが、イエスは彼らをあわれんで、助けられます。
(祈り)
憐れみ深い神さま、御子イエスのもとに、多くの病む人、苦しむ者、弱い人々が集まって来ました。その人たちに、イエスは救いを、癒しを与えておられます。それはイエスの深い憐れみの表れであり、今も、変わらず現されるものです。どうか、病むとき、苦しむとき、弱さを感じるとき、貴方を思いだし、貴方の憐れみにすがることができるようにしてください。
11月18日月曜日
「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。 あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。」
フィリピの信徒への手紙 4:4-5
ここでパウロが言いたいのは、「主が戻ってこられる日が近いのだから、細部の違いをことさらに強調するのではなく、寛容でありなさい。」ということです。2節に出てくるエボディアとシンティケが、細かい違いに目が移っていっているところで、パウロがその目を主ご自身に向けさせています。
(祈り)
天の父なる神さま、聖書が記しているように、私たちの主キリストは再び、私たちのところにお出でになることは、私たちの喜びのよりどころとなる出来事です。どうか、この喜びをいつも現すことができるように、私たちの思いを整えてください。キリストにあって生きる私たちが、心を合わせ、互いに愛し合い、助け合う喜びを噛み締めることができるように導いてください。尊い主の御名によって祈ります。
11月17日日曜日
「 被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。
つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。」 ローマの信徒への手紙 8:20-21
私たちは栄光の姿に変えられて、キリストとともにこの世に現れます。そのときに、この世界も変えられて、神が望まれたような世界になるのです。ライオンも熊も、ともに草を食べるようになります。正義が世界をくまなく支配するので、人々の間には戦争がなくなり、また、経済的に搾取することもなくなります。神の子どもが現れるときに、このようなすばらしい姿に、この世界も変えられるのです。
(祈り)
天の父なる神さま、あなたは、私たちが受ける苦しみに報いる栄光を用意してくださっています。それゆえ、私たちは苦しみに耐えることができるのです。神さま、どうか、このみ心を信じて、たとえ、思い抱かない苦難を受けようとも、それに堪え忍び、神の子どもとしての栄光に預かることができるように助け導いてください。
11月16日土曜日
そして群衆は、イエスの前を行く者も後に従う者も叫んだ。 「ダビデの子にホサナ。 主の名によって来られる方に、祝福があるように。 いと高きところにホサナ。」マタイによる福音書
21:9
この叫びは、詩編118篇にのっています。弟子たちと群衆は、イエスをお迎えするときに、自分たちの上着を脱ぎました。そして、弟子たちはそれをイエスに乗ってもらうようにし、群衆はそれをろばに踏みつけてもらうようにしました。これは、王にひれ伏す姿であります。そして、彼らはイ工スを賛美したのです。ホサナとは、「私たちを今、救ってください。」という意味です。
けれども、キリストは柔和な王です。この方にひれ伏すことは、自分が柔和への道を進むことです。あるいは、自分がヘりくだる道を歩むことです。イエスは言われました。「柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。(マタイ5:5)」
(祈り)
主なる神さま、あなたは御一人子イエスを、私たちのところに遣わしてくださいました。私たちを救うためです。感謝します。私たちも「ホサナ、ホサナ」と、イエスのエルサレム到来を讚美して喜ぶものに成らせてください。同時に、イエスがへりくだって、み心を行われたように、私たちもへりくだる者に成らせてください。主の御名によって祈ります。
11月15日金曜日
「あなたたちに先立って進まれる神、主御自身が、エジプトで、あなたたちの目の前でなさったと同じように、あなたたちのために戦われる。 また荒れ野でも、あなたたちがこの所に来るまでたどった旅の間中も、あなたの神、主は父が子を背負うように、あなたを背負ってくださったのを見た。」
申命記 1:30-31
申命記から私たちは、信仰生活の本質的なことを学ぶことができます。それは、キリストにあって神に堅く結び合わされたところから出てくる歩みです。しかし、この愛の関係は、決して感傷的なものでも、情緒的なものでもなく、契約による、しっかりとした決まり事の上に成り立っています。こうした関係を、この節の言葉から学ぶことができます。
(祈り)
父なる神さま、あなたが、あなたに選ばれた人々のために戦い、彼らを背負って歩まれています。それゆえ、彼らは敗れることも無く、迷うこともなく、道を進めることができています。彼らがあなたの教えを聞き、それを守ることに努めたからでした。主よ、私たちも、あなたに選ばれたみ恵みを覚え、あなたの教えに従うことを行わせてください。
11月14日木曜日
見よ、天とその天の天も、地と地にあるすべてのものも、あなたの神、主のものである。 主はあなたの先祖に心引かれて彼らを愛し、子孫であるあなたたちをすべての民の中から選んで、今日のようにしてくださった。
申命記 10:14-15
私たちは自分がしなければならないことを数多く考えてしまいます。そして思い悩んだり、あるいはいろいろなことをして、それが主を喜ばせることだと思っています。けれども、主が求めておられるのは「ただ」なのです(12節)。ただ、主を恐れ、主の道に歩み、主に仕え、主を愛しましょう。
(祈り)
天地の造り主なる神さま、あなたの偉大さが、民への変わらない愛となって及んでいます。それに対して、私たちは固く握りしめて離さないものをいつまでも持ち続けようとしています。どうか、そのようなものを捨てることができますように。そして、あなたの愛の御腕の中で憩わせてください。イエス・キリストのお名前によって祈ります。
11月13日水曜日
すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。
それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。
コリントの信徒への手紙二 12:9-10
聖書の中の「忍耐」という言葉には、背中に荷物を背負って、腰を曲げてじっとしているという意味があります。私たちの人生は、腰を曲げて、低くなって歩いていくものであると云えるでしょう。
神は、私たちの夢、野心、期待がそがれていき、これでもかと言わんばかりに、私たちを低くされます。そして、私たちが低くされたときに初めて、神は、「わたしの恵みは、あなたの十分である。」と語ってくださるのです。その弱さの中にあって、初めて見えてくる神の恵みがあるのです。
(祈り)
恵み深い天の神さま、 私の信仰を強くしてください。 私が粘り強く 祈れるように 助けてください。 あなたが苦しみを通して、私を形作ってくださることを感謝します。
どうか、苦難の中に追いやられても、あなたの恵みが十分に現されるように私を導いてください。
11月12日火曜日
しかし、主の御心であれば、すぐにでもあなたがたのところに行こう。そして、高ぶっている人たちの、言葉ではなく力を見せてもらおう。 神の国は言葉ではなく力にあるのですから。
あなたがたが望むのはどちらですか。わたしがあなたがたのところへ鞭を持って行くことですか、それとも、愛と柔和な心で行くことですか。 コリントの信徒への手紙一
4:19-21
キリストにあるパウロの生き方は、父としての生き方です。人々を自分に従わせようとするのではなく、自分がキリストにならっていくことによって、模範を残したのです。それゆえ、彼の言葉や行ないには、権威がありました。それは、人をしいたげるような力ではなく、人々が自発的に従っていくような、愛に裏付けされた権威です。
(祈り)
天の父なる神さま、使徒パウロはキリストに倣うことを追い求めていました。私たちも、パウロに倣う者とならせてください。どうか、人ではなく、キリストのしもべとなることができますように、この世での繁栄、この世での名声を捨てて、栄光に輝く神の国を見上げながら生きる者となりますように、ことばで教えるだけではなく、その教えの中に生きる生活を築くことができるようにしてください。
11月11日月曜日
「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。」
マタイによる福音書 7:7-8
このみことばはよく、物質的な必要についての祈りだと解釈されてますが、必ずしもそうではありません。なぜなら、イエスは物質的な必要について、「天の父が養って下さる。」と約束してくださっているからです。ここで、「求めなさい。」といわれているのは、今までイエスさまが話してこられたことをまもり行う事ができるように、求めて、探して、たたきなさい、と呼びかけておられるのです。
(祈り)
天の父なる神さま、あなたは私たちに良いものを求め続けるようにキリストを通して教えておられます。「ああ、私はだめだ。」と、がっかり、失望することがありますが、ため息をつきつづけるのではなくて、求め続ける事を、どうか、あなたの助けによって、行うことができるように、キリストの教えを守ることを、しつこくあきらめずに求め続けさせてください。
11月10日日曜日
「わたしは主によって喜び楽しみ わたしの魂はわたしの神にあって喜び躍る。 主は救いの衣をわたしに着せ 恵みの晴れ着をまとわせてくださる。 花婿のように輝きの冠をかぶらせ
花嫁のように宝石で飾ってくださる。」 イザヤ書 61:10
この「わたし」とは誰でしょうか? 61章の始めには「神である主の御霊が、わたしの上にある」とありますが、この「わたし」はメシアです。つまり続けてここもメシアご自身が歌っておられると考えてもおかしくないのです。イザヤ書に出てくるメシヤは、僕の姿を取っておられます。私たち人間とその弱さもすべて身にまとって、私たちと同じようになられました。この方が私たちを代表して、私たちの長子となられて(ローマ8:29)、同じ兄弟として主を賛美してくださっていると読むことができます。
(祈り)
主なる神さま、御子イエスキリストは苦難を受け、死にて葬られましたが、死に打ち勝ってよみがえり、天に引き上げられています。そして、ご自分の義と救いを身にまとって、再び来てくださいます。救いの衣、恵の晴れ着(正義の外套)、そして輝きの冠と宝石を身につけて。
主よ、どうか、キリストに従う私たちも、あなたの御業を讚美し、救いの衣、恵の晴れ着、そして輝きの冠と宝石を身につけることができるように導いてください。
11月9日土曜日
「天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。 イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。」
エフェソの信徒への手紙 1:4-5
父なる神は、私たちをこれから祝福するのではなく、すでに祝福されたのです。私たちの過ちは、これから神から祝福されようと思って、それで自分の行ないに頼ろうとするからです。けれども、神はすでに私たちにすべての霊的祝福を与えられました。この完全な状態から私たちは出発します。
(祈り)
天の神さま、あなたは、キリストにあって私たちを選んで、御前で、聖くあるようにと、神の子にしてくださいました。どうか、生涯に渡って、神の子として、聖くあることを保ち、天にある祝福の喜びと恵みを持って、与えられたところで歩むことができるようにしてください。救い主イエスキリストの御名前により祈ります。
11月8日金曜日
「『自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。 自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』
このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」 マタイによる福音書 20:14-16
主人は、私は気前がいいと言っています。この主人は、なぜ気前よくすることができたのでしょうか。お金がたくさんあったからです。富んでいたから、1時間しか働かない者にも1デナリを与えることができたのです。私たちの神は、栄光の富に満ちたお方です。神は私たちから何かを得ようとする貧しい方ではありません。与えても、与えても、けっして乏しくなることのない、ものすごく富んだ方なのです。ですから、たった1時間しか働かなかった者にも、かわいそうに思って同じ1デナリを与えたのでした。
(祈り)
父なる神さま、あなたは、何とかして一人でも多く、罪から救われて神の国の一員になってほしいと願われています。そのために、何回も何回も福音を聞く機会を与えてこられました。その機会を若くして得られた人、学生の時であった人、働き盛りで会った人、年取ってからの人、死を前にした人など、さまざまですが、あなたは、同じ恵みをもたらしています。どうか、福音を聞いて救いに預かったことを思い返し、常に喜ぶことを行わせてください。同時に、この喜びを手にしていただく人が多く起こされるよう福音を宣ベ伝えることをも行わせてください。
11月7日木曜日
更に、わたしたちには神の家を支配する偉大な祭司がおられるのですから、 心は清められて、良心のとがめはなくなり、体は清い水で洗われています。信頼しきって、真心から神に近づこうではありませんか。
約束してくださったのは真実な方なのですから、公に言い表した希望を揺るがぬようしっかり保ちましょう。
ヘブライ人への手紙 10:21-23
キリストは私たち、人間と神さまとの隔たりを十字架の血潮によって埋めてくださり、神さまに近づけてくださいました。これにより、私たちは神さまの恵み、喜び、御国の力に預かることができるのです。
(祈り)
天の父なる神さま、あなたは聖なる心と生活を喜ばれます 。あなたの栄光のために、全ての不義から 私を清めてください。 私は 私の歩むすべての道をあなたに委ねます
。あなたがふさわしい時に私を引き上げ、 私を あなたのように 聖なるものとしてくださいますよう、 イエス·キリストの御名によって 祈ります。
11月6日水曜日
同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。
人の心を見抜く方は、“霊”の思いが何であるかを知っておられます。“霊”は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。
ローマの信徒への手紙 8:26-27
パウロは、私たちのことを「弱い私たち」と呼んでいますが、それは、どのように祈ったらよいかわからない弱さです。神のみこころが何かがわからない弱さを私たちは持っています。このような弱さを持っているので、どのように祈ったらよいかわからないのですが、そのときに御霊が助けてくださるのです。言いようもない深いうめきによって、御霊が私たちのためにとりなしてくださいます。
(祈り)
愛する天の父なる神さま、心からの祈りを御前にささげます。私の罪を赦し、私をを憐れんでください。あなたに感謝します。あなたの霊が私たちの代わりに執り成しの祈りをささげてくださるからです。どうか、あなたの霊によって私の祈りの生活苦を導いてください。
11月5日火曜日
ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。 『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」
ルカによる福音書 17:20-21
パリサイ人たちは、神の国というのは「人の目で認められるようにして来る」政治的な王国、または「そら、ここにある」「あそこにある」といったような、特別な人や場所にしか認められないものであるかのように思っていた。しかし神の国はすでに来ている。主イエス・キリストと共に来て、主に従う者たちのうちに神の支配としてすでに実現しているのである。そしてこの神の支配が究極的に完成して姿を現すのは、終わりの日である。
(祈り)
天の神さま、地上に生まれ、限りのある命と共に歩んでいた私たちに、あなたは神の国を示しておられます。どうか、イエス·キリストがもたらした神の国のなかで、憩うことができますように、働きが守られますように、祈りが聞かれますように、私たちの信仰の歩みを祝福してください。
11月4日月曜日
思い違いをしてはいけません。神は、人から侮られることはありません。人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです。 自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、霊に蒔く者は、霊から永遠の命を刈り取ります。
ガラテヤの信徒への手紙 6:7-8
(祈り)
天地の造り主なる全能の神さま、労すること無くて働きの実を得ることができません。また、種をまくこと無くして、収穫を得ることがあり得ません。神さま、種をまくことにおいて、私たちを導き、どうか、自分の豊かさのためではなく、私たちの主の栄光のために働き、豊かな実を得る者にならせてください。
11月3日日曜
「善を行い、良い行いに富み、物惜しみをせず、喜んで分け与えるように。 真の命を得るために、未来に備えて自分のために堅固な基礎を築くようにと。」
テモテへの手紙一 6:18-19
私たちは、良い行ないにおいて富んでいるようにすることが有益です。いろいろな人たちを助け、祈り、主から与えられた財産を福音宣教のために上手に使っていくことが必要です。神がすでに、自分を豊かに楽しませてくださっているからです。
(祈り)
天にいます父なる神さま、取るに足らない私たちを、あなたの御旨のために用いてくださることを感謝します。どんな処においても、善い行いに喜んで励み、御名を高めることができますように、また、あなたが与えてくださっている賜物を惜しみなく捧げて主の教会のた働きを広めることができますように、イエスキリストのお名前によって祈ります。
11月2日金曜日
「 ですから、主が来られるまでは、先走って何も裁いてはいけません。主は闇の中に隠されている秘密を明るみに出し、人の心の企てをも明らかにされます。そのとき、おのおのは神からおほめにあずかります。」 コリントの信徒への手紙一
4:5 新共同訳
パウロの姿勢は一言でいうと、「キリストを相手にした信仰生活」です。キリストのしもべとして、キリストがどのようなことを願われているかに、もっとも関心があります。神の奥義の管理者として、人が言っていることではなく、神が言われていることに最も関心があります。そして、キリストがさばく方なので、自分の評価を主にゆだねています。
(祈り)
憐れみ深い天の神さま、私たちをキリストのしもべとして召して、尊い務めを託してくださることを感謝します。どうか、この務めを正しく受け止め、忠実に果たせるように、御霊の力を与えて導いてください。そして、主の教会のなかで、裁き合うのではなく、愛し合う生活を築けるように励まさせてください。主の御名によって祈ります。
11月1日 金曜日
「わたしは背く彼らをいやし 喜んで彼らを愛する。 まことに、わたしの怒りは彼らを離れ去った。」
ホセア書 14:5
主は怒るに遅く、憐れむのに早い方です。彼らが悪を行なっても、預言者たちを何人も遣わされて、ご自分の怒りを現すのを何とか回避されようとしました。けれども、彼らが悔い改めさえすれば、主はこれまでの犯した罪をすべて帳消しにする用意を持っておられる方です。
「喜んで彼を愛する」とあります。ここに神の心があります。今にでもすぐに喜んで行なわれる方なのです。
(祈り)
天の神さま、あなたは造り主であり飼い主です。私が道を誤ったら、元に戻るまで、導きの言葉を与えて帰るのを待っておられます。そして、誤りを認めて、飼い主のところに戻ると、あなたは大いに喜んで受け入れてくださいます。神さま、私たちが、あなたの愛を受けることができるよう、あなたのところから離れたことを認めて、助けを求め続けさせてください。