今日の聖句  2026年1月    nagarenohotori      

      聖句は基本的には新共同訳聖書を使用しています



1月31日土曜日
詩編 92:5-6 新共同訳
 主よ、あなたは 御業を喜び祝わせてくださいます。 わたしは御手の業を喜び歌います。
 主よ、御業はいかに大きく 御計らいはいかに深いことでしょう。

(黙想)
 私たちは、主を住まいとする時に、初めにすることは「感謝する」ことです。感謝することによって、私たちは主がすべてのことを支配しておられ、それは良い意図をもって行っていられることを認めることになります。主の御心に従うことにつながります。次に、「ほめ歌をうたう」ことです。主が良くしてくださっていること、すばらしいことをしてくださっていることを感謝するだけでなく、賛美するのです。しかも、ここで指導されているようにそれを歌にして行います。私たちが主の名で集まる時に、祈り、感謝して、賛美します。賛美するだけでなく、「恵みと真実を言い表」します。心の中で思っているだけでは、不十分です。それを口にして、言葉にして言い表すのです。したがって、証しというのは重要な役割を果たします。教会では、聖書の教えが強調されているので、なかなか礼拝の時に証しをしていただくことはできていません。けれども礼拝の後の交わりにおいて、神の恵みと真実を証しすることによって、主を喜ばせることができるのです。

(祈り)
天の神さま、 あなたのお守りを感謝いたします 。私は自分の人生を見つめて 、今ある課題に心を集中できるように導いてください。私が今向き合っている課題を終えれば、 次に何をすべきかをお示しください。 どうか、あなたに信頼して平和の道を、一歩一歩前に向かって歩んでいくことができるように導いてください。主のお名前によってお祈りします。アーメン

1月30日金曜日
マタイによる福音書 6:7-8 新共同訳
 また、あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。 彼らのまねをしてはならない。あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。

(黙想)
 祈りは神様から押し付けられた生活日課のようなものではありません。 また地上と天国とで情報を交信し合うようなものでもありません。 神様は私たちの状態や 必要なものは皆 ご存知なのです。 地上でなされる 良い対話と同じように、 祈りは神さまと人との関係を密接にし 、従順さを育て、神さまと共に働くようにさせるものなのです。

(祈り)
 天にいます 父なる神さま、私は祈りの中で 一方的に話すのではなく、あなたとの関係を大切にして求めることができますように。私自身を全てあなたにさらけ出し 、心からあなたに 耳を傾けることはできますように。どうか、あなたが知ってくださってる 私の 必要 を私も気づくことができますように 。イエス様が私に願っておられることを知ることができますように。神さま、あなたを信頼して祈ることはできますように、キリストの御名を通して祈ります 。アーメン

1月29日木曜日
詩編 40:6 新共同訳
 わたしの神、主よ あなたは多くの不思議な業を成し遂げられます。 あなたに並ぶものはありません。 わたしたちに対する数知れない御計らいを わたしは語り伝えて行きます。
 
(黙想)
詩篇40篇は、滅びの淵から救われたダビデ(詩人)の感謝と賛美、そして神の御心を行うことへの献身、さらに敵からの助けを求める切実な祈りが歌われた、希望と信頼に満ちた詩篇で、「主は私の叫びを聞いてくださった」という救いの体験と、「新しい歌」で神をほめたたえ、「あなたの御心を行うことを喜びます」と神の御旨に従う決意が表明されています

(祈り)
天の神さま、聖書の言葉を感謝します 。聖書の言葉は力強く、私をいつも励ましてくれているからです。 あなたは私が目に見えるものによらず 、信仰によって生きるように助け導いてくださっていますので、私は、あなたが ご自分の御心と目的にかなった奇跡を 今も行い続けておられることを実感しています。どうか、私の思いを あなたの御心に沿ったものとし、あなたを仰ぎ見て あなたの御業を待ち望むものにしてください。 力ある主のお名前によって お祈りします 。アーメン

1月28日水曜日
詩編 38:22-23 新共同訳
  主よ、わたしを見捨てないでください。 わたしの神よ、遠く離れないでください。 わたしの救い、わたしの主よ すぐにわたしを助けてください。

(祈り)
憐れみ深い 天の神さま、 私があなたによってどんなに守られ、どんなに安心であるかを忘れないように助け 導いてください 。あなたが私と共におられることを実感し、確信させてください。御子イエスさまの十字架上の死が私の全ての罪を贖ってくれたので 、私は 天の国 行く 途上にあり、 やがて私は顔と顔と合わせて あなたを見ることになる喜びは計り知れないものとなっています。
どうか、時の終わりまで永遠に向かって 私と共に歩んでくださるというあなたの約束を 喜びながら、今日も感謝の日々を送ることができるように導いてください 。尊い イエスさまのお名前によって お祈りします。アーメン

1月27日火曜日
ヤコブの手紙 4:14-15 新共同訳
  あなたがたには自分の命がどうなるか、明日のことは分からないのです。あなたがたは、わずかの間現れて、やがて消えて行く霧にすぎません。 むしろ、あなたがたは、「主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこのことをしよう」と言うべきです。
(黙想)
 自分が計画したことが神さまのみこころでなければ、それはことごとく失敗します。永続せず、なくなってしまいます。一生が過ぎて、晩年に、自分のことを振り返って、「私は何をしてきたのだろう」と後悔して、むなしくなるような人生では、いったい何になるのですか、というのが、ここに書かれているところの問いです。
「主のみこころなら」という言葉は、本当に大事ですね。すべてのことに主を認める、と言い換えても良いかもしれませんが、私たちが振り返ったときに、主の軌跡を見ることができれば、それは実に楽しいことです。主がこのようにして自分を導いてくださった、とはっきりと言えるでしょうか?朝ごとにこの息さえ、主によって支えられているのだという実感は、私たちを主の臨在で満たし、この世に対する執着をなくしてくれます。

(祈り)
恵み深い天の神さま、あなたが私に注いでくださる豊かな恵みを心から感謝いたします 。私の人生における 困難でさえも、 あなたの恵みのものとみなすことができています。 それによって、私は忍耐強くなるように訓練され、変えられ、天国への備えを させられるからです 。私は心を開き、両手を広げて 、あなたの元に近づいていきます。 あなたが私のために備えてくださった全てのものを受け取るためであります。 どうか 、もっと多くのものを受け取る 喜びに満ちた 期待を持って、この日の歩みを進めていくことができるように助け 導いてください。 イエス・キリストのお名前によって お祈りします 。アーメン

1月26日月曜日
テモテへの手紙二 2:1新共同訳
 そこで、わたしの子よ、あなたはキリスト・イエスにおける恵みによって強くなりなさい。

(黙想)
 永遠の昔から、神は私たちを救い、聖なる招きをもって召してくださいました。この恵みをもって、強くなりなさい、とパウロは命じています。私たちを強くするのは、神の恵みのみです。私たちが弱まっているときに、もっと祈らなければいけないとか、もっと伝道しなければならないとか、私たちの行ないが強調されるのではなく、神がキリストにあって行なってくださった、神の恵みが強調されなければいけません。神の前で恥ずかしくない働き人として立つことができるのも、この「恵み」によってであります。

(祈り)
天の父なる神様、私は時折 「重荷を背負って、疲れてる」と思う時に、自分の灯火が 今にも消えそうになってると感じます。 それが、 あなたのそばに行かなければならない招きであり、 あなたのもとで心を休める時、あなたは私の灯火に油を満たしてくださるお方であることを知ることができています。 あなたこそ私の力だからです。 またあなたは私の光でもあります。 私があなたに向かって求め続けてる限り、 あなたの栄光は私の上に輝くからです 。あなたの まばゆいばかりの美が私の人生を輝かせ 、私の見方を変えてくれています。この世界がどんなに多くの問題と困難を抱えていても、神様、私は常にあなたのことを喜ぶことができるようにしてくださ
い。 どうか、あなたが私の闇を光に変えてくださるのを期待して待てるように助け 導いてください。 幸いな主のお名前によって お祈りします 。アーメン

1月25日日曜日
ローマの信徒への手紙 1:20 新共同訳
  世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。

(黙想)
 世界中にいるどのような人も、どの時代に生きている人も、人間として生まれてきたかぎり知っていることがあります。それは、被造物にある神性です。私たち人間がだれでも喉が渇き、お腹が減るように、どのような人でもこの神性については知らされている、とパウロは言います。彼は、「神の永遠の力」と言っていますが、被造物を見るときに、二つの神の性質を知ります。一つは永遠性です。伝道者の書において、ソロモンが、「神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。(3:11)」と言いました。
もう一つの神の性質は、「創造の力」です。この被造物が存在し、また秩序をもって保たれているところに、人は必ず、絶大なる力を持っている神を認めざるを得ません。だれでも被造物にある神の栄光を認めざるを得ないのです。

(祈り)
 天の父なる神様、私はあなたが導いてくださるところならどこへでも従って行きたいと思っています。 どうか、喜びと期待に歩みを早めて、全身全霊であなたの後を追えるように助け 導いてください 。行く先に何があるか 私には分かりませんが、 「見えるものによらず信仰 によって」歩ませてください。尊い主イエス・キリストの名前によって お祈りします。ア ーメン

1月24日土曜日
詩編 86:11 新共同訳
 主よ、あなたの道をお教えください。 わたしはあなたのまことの中を歩みます。 御名を畏れ敬うことができるように 一筋の心をわたしにお与えください。

(黙想)
 私たちの心にはいろいろな声が聞こえます。多くの声が心の中で聞こえ 、自分の存在が何を求めてるかわからない時 、イエス様は私たちの心の奥底に語りかけてくださっています。 「あなたは私を愛しているか」 (ヨハネの福音書 21章15節)と。自分の意思でイエス様を愛し抜くことができなかった私たちに、イエス様は 声をかけてくださるのです。このお方の声が私たちの心の最も多く深いところに入ってきてくださリ、 分裂した心を一つにする言葉を語ってくださるので、この方には自分の本当の思いを告げることができるのです。 私たちには本当の一つの思いを知っていてくださるお方、イエス様がおられるのです。

(祈り)
天の神様、あなたを恐れ敬う 私たちの魂を守ってください。 あなたを信頼してその教えを守りますので、 私たちを敵から救ってください。あなたを仰ぎ見ますので 、私たちの魂を喜ばせてください。私たちに あなたの憐れみが与えられるように、絶えず祈ることを守らせてください。 尊い主の御名によって 祈ります 。アーメン

1月23日金曜日
出エジプト記 15:11, 18 新共同訳
[11] 主よ、神々の中に あなたのような方が誰かあるでしょうか。 誰か、あなたのように聖において輝き ほむべき御業によって畏れられ くすしき御業を行う方があるでしょうか。
[18] 主は代々限りなく統べ治められる。

(黙想)
 11節は、主なる神と他の神々と言われているものを比較して、主なる神がはるかに優っていることを歌っています。海が分けられて、その乾いた地を何百万人もの人が通りすぎたなどというのは、どんな科学技術をもってしても実現できません。
 この歌はエジプト人が紅海の中に沈んでいった直後に歌われたものです。したがって、これは将来のことを歌っているばずです。けれども、あたかも実際に起こったかのような歌われ方がされています。なぜでしょうか。ぜったい起こるという確信があるからです。ぜったいに起こることがわかっているので、それがあたかも起こったかのように表現しているのです。でも、なぜ、ぜったい起こることが分かるのでしょうか。主が彼らにあまりにも大いなることを行なわれたからです。あまりにも絶大で偉大なことをしてくださったので、将来について絶大なる信頼を抱くように促されたのです。同じように、神はキリストにおいて、ものすごい、とてつもないことを私たちのためにして下さいました。そのことを悟るとき、私たちは将来の行く末についてものすごい強い確信を持つことができるのです。また、日々の生活の中で主がしてくださっていることに気づくと、将来も良くしてくださることを信頼できるようになってきます。

(祈り)
天の父なる神様、あなたに従う者は喜びと恐れを同時に持つかできると 教えられています 。どうか、私が 現在や 将来に関する 心配ごとに押しつぶされて喜びのない生き方に屈してしまうことがないように助け 導いてください。「 現在のものも 将来のものも 力あるものも高いところにあるものも深いところにあるものも、 その他のどんな被造物も、あなたの愛から私を引き離すことできない」ことを決して忘れないように守ってください。 あなたのもとでくつろぎ、 気がかりなことを全てあなたにお委ねするとき、あなたの喜びで私を満たしてください。 喜びに満ちた主のお名前によって お祈りします。アーメン

1月22日木曜日
エフェソの信徒への手紙 2:11-13 新共同訳
 あなたがたは以前には肉によれば異邦人であり、いわゆる手による割礼を身に受けている人々からは、割礼のない者と呼ばれていました。 また、そのころは、キリストとかかわりなく、イスラエルの民に属さず、約束を含む契約と関係なく、この世の中で希望を持たず、神を知らずに生きていました。 しかしあなたがたは、以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近い者となったのです。

(黙想)
 パウロは再び、以前の私たちの姿を思い起こさせています。私たちは罪に死んでいただけではなく、肉における異邦人でした。
 パウロ、異邦人、あるいは無割礼と呼ばれる者たちの4つの状態を描いています。一つは「キリストから離れ」ていることです。 二つ目は、「イスラエルの国から除外され」ていることです。イスラエル人であるがゆえの市民権を私たち異邦人は持っていませんでした。さまざまな特権がイスラエル人に与えられていましたが、異邦人は蚊帳の外に置かれていたのです。三つ目は、「約束の契約については他国人で」あるということです。神さまはイスラエルの民と契約を結ばれて、さまざまな約束を与えられました。私たち異邦人は、それらの約束や契約とは無縁の存在だったのです。四つ目の状態に、「希望もなく、神もない」とあります。将来に対する確か
な約束は何一つありません。自分たちが信じているのは神々と呼ばれるものであり、木や石にしかすぎないものでした。
 しかし、キリストの十字架の贖いによってよって、異邦人も神に近づくことができるようになったのです。すべての人に救いの道が備えられたのです。

(祈り)
天の父なる神さま、私はあなたとあなたの御心に自分を開いてもっとあなたに従って生きていきたいと願っています。 どうか、私の願いがあなたの光に照らされ、私の願いを邪魔するものから解き放って歩めるようにしてください 。御言葉は何かを失ったり、希望がくじかれた時の最善の対応は 賛美 であることを教えています。主 は与え、主は 取られる、主の御名はほむべきかなと!全ての良きものはあなたからの贈り物であることを私が忘れないように導いてください。 自分には恵みを受ける資格がないなどだと思わず、感謝を持って受け止められるように私を整えてください 。そしてあなたが私から 取り去るならどんなものでも手放せるようになる、その心を持たせてください。私たちの主イエスキリストの名前によって お祈りします。ア ーメン
 
1月21日水曜日
コリントの信徒への手紙二 5:5-8 新共同訳
 わたしたちを、このようになるのにふさわしい者としてくださったのは、神です。神は、その保証として“霊”を与えてくださったのです。 それで、わたしたちはいつも心強いのですが、体を住みかとしているかぎり、主から離れていることも知っています。 目に見えるものによらず、信仰によって歩んでいるからです。

(黙想)
 神は、私たちを必ず神の御国に入れてくださいます。私たちを必ず、天に引き上げてくださり、天からの住まいを与えてくださいます。どれだけそう本気で思っているのかは、私たちのうちに住んでおられる御霊によって分かるのです。私たちが罪が赦され、きよめられ、神の愛と平和に満たされます。喜びが心の中からあふれます。「ああ、クリスチャンってなんてすばらしいいのだろう。」と思います。けれども、それは単なる頭金にしか過ぎないのです。主が来られるとき、神はすべての契約取引を終えてくださいます。そのときの喜びは、御霊による喜びと比べられないものなのです。
 パウロは心強くなっています。天から与えられる住まいを思うことで、パウロの心はどんどん強くされているのです。

(祈り)
天の父なる神さま、私の前に広がっている今日という日に目をやり、曲がりくねった複雑な道の中から自分の道を見つけ、 あなたと共に歩むことができるように、私たちが天に引き上げられるまで、豊かに導いてください。主イエスさまのお名前によって祈ります。アーメン

1月20日火曜日
ペトロの手紙二 1:16-17 新共同訳
 わたしたちの主イエス・キリストの力に満ちた来臨を知らせるのに、わたしたちは巧みな作り話を用いたわけではありません。わたしたちは、キリストの威光を目撃したのです。  荘厳な栄光の中から、「これはわたしの愛する子。わたしの心に適う者」というような声があって、主イエスは父である神から誉れと栄光をお受けになりました。

(黙想)
 ペテロは、「イエス・キリストの現われ」について教えました。主が再び戻って来られることについてです。ペテロは、このことは作り話ではないと強く訴えかけています。その理由として、自分自身が、主の威光を目撃しているからです。
 キリストが父なる神から誉れと栄光をお受けになったとき、おごそかな、栄光の神から、こういう御声がかかりました。「これはわたしの愛する子、わたしの喜ぶ者である。」
 これは、後に来られるイエス・キリストの威光のごく一部であったわけです。ペテロはこれを目撃しており、決して作り話ではないことを強調しています。

(祈り)
 天の父なる神さま、私が今日一日 あなたから目を離さずに 穏やかに過ごせるように助けてください 。私は時々自分の前の道が閉ざされているように見えることがあります。どうか、牧者である 主イエスさまに心を集中し 、目を離すことなく、栄光に満ちたイエスさまの 姿を見ることができるようにしてください。主イエス・キリストのお名前によって 祈ります アーメン

1月19日月曜日
ヨハネによる福音書 6:63 新共同訳
  命を与えるのは“霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。

(黙想)
これがイエス様の言葉と、ユダヤ人たちの理解の間にあるすれ違いでした。主は、霊的なこと、神の御霊に関することを話しておられました。けれどもユダヤ人たちは肉に関すること、目に見える事柄のみで考えていました。
 ローマ8章2節で、「いのちの御霊の原理」というのがあります。ちょうど自然界に重力の法則があるのと同じように、いのちの御霊の法則があります。これに従えば、主は私たちの内で、私たちができなくなっていることをしてくださいます。いのちの御霊の原理は、私たちがイエス・キリストを信じる時から働きます。この方を信じることによって、主が与えようとしている力、知恵、知識を知ることができるのです。
 多くの人が肉によって神のこと、キリストのこと、聖書のことを知ろうとしています。どんなにギリシヤ語を学んでも、どんなにヘブライ語を学んでも、神学の博士号を得ても、神の真理に至りつくことはできないのです。御霊を受けた無学の信徒が、これら学識ある人々よりも、神の知識について優れています。肉は何の益ももたらさないのです。

(祈り)
天の父なる神さま、 平和の救い主イエス様を感謝いたします。 あなたの平安が私の心と思いとを守ってくださいますように、また、 イエス様が近いことを忘れずに、いつも喜ぶことができるように助け 導いてください。サタンとその仲間たちがあなたの存在を覆い隠そうと必死に 画策しています。 彼らの攻撃に気づいて力強い言葉によって 反撃することができるように整えてください。尊い主のお名前によって お祈りします 。アーメン

1月18日日曜日
イザヤ書 60:17 新共同訳
  わたしがあなたに与える命令は平和 あなたを支配するものは恵みの業。

(黙想)
イザヤ60章は、神の臨在による復興と栄光、富の集積、そして平和と永遠の喜びが約束され、神の救いと栄光が世界に及ぶ希望のメッセージを表しています。
 アブラハムに、神は「エル・シャダイ」全能の神として現れてくださいました(創世17:1)。エル・シャダイの元々の意味は、母親が赤ん坊に乳を与えることを意味します。完全に神により頼んでいる状態を指しています。同じようにエルサレムは、あらゆる財宝と助けが与えられ、それに完全に頼っている状態になるわけです。そして、何よりも貴い財産は、金銀ではなく、平和であり正義なのです。
 
(祈り)
天の神さま、私たちに希望のメッセージを与えてくださり感謝します。あなたは信じて従う者を滅ぼすことがなく、すべてを新しくすると約束しています。どうか、物事を改善しようと努力しても、うまくいかない時 、私が落ち込むことがないように助けてください。また、あなたが与えてくださる平和と、恵みの業を求めて行う努力をやめることがないように導いてください。世に勝ちたもう主の御名によって祈ります。

1月17日土曜日
ローマの信徒への手紙 8:14 新共同訳
  神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。

(黙想)
神の子どもとしての身分が、私たちに与えられます。御霊に導かれるとき、私たちはいのちを持つのですが、そのいのちは、「神の子ども」という言葉の中に表れています。イエスさまは、父なる神に対し、こう祈られました。「その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。(ヨハネ17:3)」いのちとは、長生きすることではなく、神を知ること、イエス・キリストを知ることそのものです。つまり、いのちを持つというのは、関係を持つと言いかえることができるのです。財産をたくさん持っていても、知識をたくさん持っていても、私たちが独りになったら、そこでいのちが枯れてし
まいます。財産がなくても、人との関わりがあるときに、私たちはいのちを持っているのです。ですから、イエスさまは、弟子たちに、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これが新しい戒めです。」と言われたのです。愛し合うところにいのちがあるのです。ですから、聖霊は私たちにいのちを与えられますが、それは、私たちが神の子どもとしてくださることによって与えてくださいます。

(祈り)
天の父なる神さま、 御子イエスさまを私たちに遣わしてくださったことを感謝します。 イエスさまは私の力 私の歌です。困難が降りかかるたびにそれに対応する力を 私に与えてくださっていますので、喜び讃えることができているからです。どうか、今日も、イエスさまを信頼して、明日のことを心配しないで過ごせるように導いてください。救い主イエスさまのお名前によって祈ります。アーメン

1月16日金曜日
コリントの信徒への手紙一 12:12-13 新共同訳
 体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。 つまり、一つの霊によって、わたしたちは、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです。

(黙想)
私たちが一つのからだにされていると言えるのは、御霊によってバプテスマ(洗礼)を受けたからであると言えます。パウロは3節で、聖霊によるのでなければ、イエスは主です、と言うことはできません、と言いましたが、私たちは聖霊によって、イエス・キリストが自分の救い主であり主であると告白できました。そのときに、私たちは御霊によって新たに生まれ、古い自分に死に、キリストにある新しい人となりました。けれども、御霊の働きは、私たち個人を新しくしただけにとどまりません。ご聖霊は、私たちを、他にキリストを信じる者たちと一つになるようにバプテスマをさずけてくださったのです。

(祈り)
天の神さま、私が苦しみのただ中でも喜んで生きられるように助け 導いてください。今 経験していることよりも、もっと自由でもっと自立した生き方ができるようになりたいからです。 あなたが常に私を導いておられ、 私のことを心にかけてくださってることを 心に刻みつけることができるように、それがあなたからの贈り物であることを喜んで受けいれられるように助けてください。私たちがより頼む 尊い主のお名前によって お祈りします。 アーメン

1月15日木曜日
ヨハネの黙示録 15:4 新共同訳
「主よ、だれがあなたの名を畏れず、 たたえずにおられましょうか。 聖なる方は、あなただけ。 すべての国民が、来て、 あなたの前にひれ伏すでしょう。 あなたの正しい裁きが、 明らかになったからです。」

(黙想)
今彼らは、主が地上に再臨されて世界の王となられることを讃美しています。イエスさまはイスラエルの君だけではなく、すべての国々の君であり、すべての民族、国民がエルサレムに来て、イエスさまをあがめ、ひれ伏します。それは、イエスさまが地上に戻ってこられるときに、正しいさばきを行なわれるからです。ですから、すべての人が主の御名をほめたたえます。

(祈り)
恵み深い天の神さま、 今日もあなたと共に 与えられた1日を過ごしたいと願っています。 今日1日中 あなたに感謝できるように歩ませてください 。 どうか、あなたへの感謝で心いっぱいにし、くよくよしたり 、ブツブツ 文句を言ったりするような有害なパターンに陥ることがないように助けてください。どうか、感謝に溢れた心であなたに近づく道を私に開いてください 。そして あなたの御許で、 私が喜びと平安に満たされることができるようにしてください。主イエス・キリストのお名前によって お祈りします。 アーメン。

1月14日水曜日
詩編 34:8 新共同訳
 主の使いはその周りに陣を敷き 主を畏れる人を守り助けてくださった。

主の使い、とは主イエス様であろうと考えられます。
 陣を敷き、という働きは、エリシャがシリヤ軍に包囲されていたときもそうですし、ヒゼキヤがアッシリヤ軍に包囲されていたときもそうでした。御使いが軍隊をことごとに滅ぼしています。

天の父なる神さま、私があなたを信頼して恐れないように助け 導いてください。 手に負えそもないことがたくさんあって、日常のことがすんなりと 運ばない 状況から、ずっと安心していられるように私を導いてください。どうか、今の困難な状況を恐れるよりも、むしろその困難を用いて 私を 栄光から栄光へと姿を変えられる恵みに預からせてください 。尊い主のお名前によって お祈りします 。アーメン

1月13日火曜日
ヨハネによる福音書 14:23-24 新共同訳
 イエスはこう答えて言われた。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。 わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。

(黙想) 
ものすごい約束が書かれています。イエスだけでなく、父なる神ご自身が私たちのところに住んでくださるとイエスは言われています。三位一体の神の働きをここで見ることができるのですが、今までは、とうてい近づくこともできない、手を伸ばしても届かないような存在が、今、私たちをご自分の家にしてしまうというところまで接近して下さいました。けれども、これは世には分かりません。なぜなら、イエスを愛していないからです。このすばらしい神の臨在は、イエスを愛している人でなければ分からないのです。

(祈り)
天の神さま、 私を新しく造り変えてくださったことを感謝いたします。 あなたは私の心に 朽ちることも汚れることも消えることもない永遠のいのちを受け継ぐことができるようにしてくださいました。 私の心はあなたがその栄光に満ちた良いものを与えてくださったことへの感謝で満ち溢れています。 どうか、私にあなたと 栄光のうちに永遠に過ごすための備えをさせてください。あなたが私の人生に行っておられる 素晴らしいことを何一つ 見過ごすことのないように助け 導いてください 。大いなる救い主のお名前によって お祈りいたします。アーメン
1月12日月曜日
ルカによる福音書 9:41-42 新共同訳
 イエスはお答えになった。「なんと信仰のない、よこしまな時代なのか。いつまでわたしは、あなたがたと共にいて、あなたがたに我慢しなければならないのか。あなたの子供をここに連れて来なさい。」 その子が来る途中でも、悪霊は投げ倒し、引きつけさせた。イエスは汚れた霊を叱り、子供をいやして父親にお返しになった。

(祈り)
天の父なる神さま、私はあなたと共に人生の道を歩みたいと思っています。 それは楽なことではありませんが 、それでもなお 素晴らしい 恵みにあふれるものと信じています。 あなたが教えてくださる全てのことを受け入れ 、そして慣れっこになった気楽さを手放し 、神とともに歩む人生の 旅路を受け入れることができるように助け 導いてください。あなたは私の道の前方に何があるかも含めて 何もかも ご存知です。 どうか、自分の歩みについて、 様々な計画を立てようとしがちですが 、それよりもあなたこそが私の歩みを導き 確かにされるお方であることを喜んで委ねるものとならせてください。主 イエス・キリストの名前によって 祈ります 。アーメン

1月11日日曜日
ローマの信徒への手紙 8:14 新共同訳
  神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。

(黙想)
 神の子どもとしての身分が、私たちに与えられます。私たちは、御霊はいのちの御霊であることを学びました。御霊に導かれるとき、私たちはいのちを持つのですが、そのいのちは、「神の子ども」という言葉の中に表れています。イエスさまは、父なる神に対し、こう祈られました。「その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。(ヨハネ17:3)」いのちとは、長生きすることではなく、神を知ること、イエス・キリストを知ることそのものです。つまり、いのちを持つというのは、関係を持つと言いかえることができるのです。財産をたくさん持っていても、知識をたくさん持っていても、私たちが独りになったら、そこでいのちが枯れてしまいます。財産がなくても、人との関わりがあるときに、私たちはいのちを持っているのです。ですから、イエスさまは、弟子たちに、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これが新しい戒めです。」と言われたのです。愛し合うところにいのちがあるのです。ですから、聖霊は私たちにいのちを与えられますが、それは、私たちが神の子どもとしてくださることによって与えてくださいます。

(祈り)
恵み深い天 の父なる神さま、あなたは私たちに 常に あなたと触れ合って 人生を送るように招いてくださっています。 あなたとのふれあい の時を今日も豊かに持たせてください。 どうか、自分の作った やることリストではなく、神さまあなたの霊が一瞬一瞬を導いてくださることを求めることができるようにしてください。愛する主よ イエス・キリストの名前によって お祈りいたします。 アーメン

1月10日土曜日 
テモテへの手紙一 4:16 新共同訳
  自分自身と教えとに気を配りなさい。以上のことをしっかりと守りなさい。そうすれば、あなたは自分自身と、あなたの言葉を聞く人々とを救うことになります。
 
(黙想)
ここの「救う」というのは霊的救いのことではありません。彼らはすでに、信仰によって義と認められ、救われています。ここでの「救い」は4章1節に書かれている、「惑わしの霊、悪霊の教え」からの救いです。この救いを得るためには、自分自身に気をつけて、また教えている事にも気をつけなさい、ということです。これはパウロが話している、信仰のことばと良い教えによって養われること、霊的鍛錬を受けること、それから、信者の模範となり、教えることに心を砕くことなどが含まれます。そしてここでのキーワードは、「あくまでそれを続けなさい」です。終わりの時には、このような偽りの教えが猛威を奮います。いや、それが主流となり、神の家からさばきが始まります。そこで私たちはことさらに何かを行なうのではなく、雪吹雪の中で眠らないで前進することを続けるように、ただ続けていくことが必要なのです。

愛する天の神さま、私が困難な日々を感謝することを学べるように、また自分が出会う 挑戦に刺激を受けられるように導いてください 。荒野をあなたと旅することで、あなたと一緒ならどんなことにも対処できることを学ばせてください。どうか、私自身が教えていることに気を配り、 あなたの変わらない 恵みを土台として聖書の貴重な教えを正しく取り次ぐことはできるように助けてください。 尊い主のお名前によって 祈ります。 アーメン 

1月9日金曜日
コリントの信徒への手紙二 1:7 新共同訳
 あなたがたについてわたしたちが抱いている希望は揺るぎません。なぜなら、あなたがたが苦しみを共にしてくれているように、慰めをも共にしていると、わたしたちは知っているからです。

(黙想)
 慰めたり励ましたりすることだけではなく、慰めをともにする共有している、ともパウロは言っています。教会の役目は、慰めることや励ますことだけではありません。ともに痛み、ともに苦しむということも教会の奉仕の一つなのです。教えることばかりが、私たちの間で先行してしています。しかし、ただともにいること、いっしょにいることが教会における大切な奉仕の一つになるのです。

(祈り)
全能の神さま、あなたは私に 力を帯びさせてくださいますので 、 罪も弱さも全てそのままして あなたの元に来ることができるように導いてください。 また、あなたは私の道を全きものとしてくださいますから 、危険から守ってくださるだけでなく、心配事やあれこれ計画を立てすぎることからも私を救ってください。どうか、あなたが私の人生航路を最善の状態に整えてくださることを信じて お委ねすることができるように助けてください 。力 強い 主のお名前によって お祈りします 。アーメン

1月8日木曜日
ヨハネによる福音書 17:24 新共同訳
 父よ、わたしに与えてくださった人々を、わたしのいる所に、共におらせてください。それは、天地創造の前からわたしを愛して、与えてくださったわたしの栄光を、彼らに見せるためです。

(黙想)
 イエスの願いは、私たち信じる者が一つになること、一致することです。神は人をお造りになるとき、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。(創世1:26)」と言われました。神が、ご自分のことを「われわれ」とおっしゃっているのですから、私たちも、「私たちは一つです。」と言えるようになることが、神の願っておられることです。この、神が持っておられる大きな目的と、イエスの願いを忘れないようにしましょう。そして、私たちは、「主よ、どうか、私たちが互いを受け入れることができるようにしてください。お互いに違いがあっても、それを受け入れ、愛によって結ばれるようにしてください。」と祈らなければなりません。なぜなら、私たちはキリストにあって一つとなるために、この世に生きているからです。

(祈り)
天の父なる神さま、あなたがどんな時にも信頼できる拠りであることを思い起こして 感謝を致します 。あなたが私の人生に行ってくださってるあらゆることを、また心の目を開いて、あなたが置いてくださっている たくさんの恵みを見ることができるようにしてください。 どうか、私があなたが全く道のないように見えるところにも道を造られることを覚えて 讃えることができるようにしてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン

1月7日水曜日
ヨハネによる福音書 3:20-21 新共同訳
  悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて
、光の方に来ないからである。 しかし、真理を行う者は光の方に来る。その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために。」

(黙想)
「真理を行なう」とは、自分の罪を認めて、神の前にへりくだって出て行くことを意味しています。「私は罪人です。神様、どうかこの者を憐れんでください。できますならば、この罪を赦してください。イエス様が十字架につけられたのは、まさに私のためです。そして生き返ってくださったことも信じます。このイエス様に、これから私は従っていきます。」こういう心を持っている人です。この人は光のほうに来ることができます。罪がすべて洗い清められ、新しく生まれ、神の子供としての特権が与えられます。

(祈り)
聖なる天の神さま、あなたの創造のみ業が、私に感激と喜びをもたらしてくれています。 どうか私の内で、 あなたの 創造の働きが止まることがありませんように。あなたが私の中の 汚れているものをきれいに片付けて、聖霊 が住める場所を作ってくださるように、どんなものでも喜んで あなたが取り去ると決めたものは手放すことができるように、 そして私に必要なものを全て豊かに与えてくださると期待することができるように導いてください。主イエス·キリストのお名前によって お祈りします。アーメン

1月6日火曜日
詩編 89:6-8 新共同訳
 主よ、天があなたの驚くべき力を告白し 聖なるものがその集会で あなたのまことを告白しますように。  雲の上で、誰が主に並びえましょう 神々の子らの中で誰が主に比べられましょう。 聖なるものの集いにおいて あなたは恐れられる神。 御もとにあるものすべてに超えて 大いに畏れ敬われる方です。

(黙想)
 二つの場所で、主が褒め称えられています。一つは天においてです。「神々の子ら」というのは、天使たちのことです。天使がいかに力強いかは、聖書を読めば一目瞭然です。しかし、主はこれらの力強い天使とは比べ物にならないほど、力のある方です。
 もう一つ、褒め称えられている場所は聖徒たちの集いです。そこで、どんなものよりも主がもっとも恐れられている方であると言っています。

(祈り)
主なる神さま、私があらゆることについて感謝することができるように助け 導いてください。何か困難なことに心がとらわれたら、すぐにその問題を「感謝を持って」 あなたのもとに携えていくことができますように。そうすることによって、私を悩ます ものの力が失われ、あなたの平安を楽しむことを行わせてください。世に勝ちたもう主イエスのお名前によってお祈りいたします。

1月5日月曜日
テサロニケの信徒への手紙二 2:16-17 新共同訳 
 わたしたちの主イエス・キリスト御自身、ならびに、わたしたちを愛して、永遠の慰めと確かな希望とを恵みによって与えてくださる、わたしたちの父である神が、 どうか、あなたがたの心を励まし、また強め、いつも善い働きをし、善い言葉を語る者としてくださるように。

(黙想)
この祈りに、パウロたちの願いがすべて詰まっています。主イエスと父なる神が、私たちを愛しておられること。そして永遠の慰めを与えておられることです。この真理によって、私たちの心が慰められ、強められるようにと祈っています。慰められ、強められるのです。そして、その慰めによって強められたことによって、あらゆる良いわざと言葉に進むことができます。これが、私たちが良いことと、福音を語る原動力となります。

(祈り)
天の神さま、今年も私の人生に様々な問題が降り注いでくることと思います 。どうか、 それらとうまく付き合っていけるように助け 導いてください。 私にとってうまくいってないように思えることはたくさん出てくることでしょうが、 あなたが全てのことを導いておられることを忘れることはないようにしてください 。どの問題からも何かを学ぶことはできます。 あなたが願っておられる人間になれるように私に慰めと励ましを与え 、私が良い業に励み、 良い言葉を語ることができるように、私を変えてください。主のお名前によって お祈りいたします。アーメン

1月4日日曜日
ヨハネによる福音書 5:7-9 新共同訳 
  病人は答えた。「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。」 イエスは言われた。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」 すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした。 その日は安息日であった。

(黙想)
 病人は直りました。この男は、イエスが命じられたあとも、なぜよくなることができないかぶつぶつ言うことはできました。けれども、彼はイエスの言われたことに、あえて従おうとしました。もちろん、自分の力では従うことはできません。けれども、自ら進んで従おうとしたとき、従うことができる力を神が授けてくださったのです。思い出せるでしょうか、ペテロが夜通し漁をしていましたが、一匹もとれませんでした(以下ルカ5:1-11参照)。イエスが、「網をおろして魚をとりなさい。」と言われたら、ペテロは、足なえの男と同じように、魚が取れない理由を述べました。けれども、彼は、「でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」と言ったのです。そして、そのとおりにしたら、網がやぶれそうになりました。ですから、私たちがイエスの言うことを聞き従おうとするとき、イエスは、従うことができる力を与えてくださいます。

(祈り)
全てをご存知の神さま、私を変わることない 愛で、愛してくださっていることを感謝いします。その愛によって、私が本当の自分でいられるよう助け導いてください。どうか、あなたに対して、自分を完全に開き、あなたのもとで安心して憩うことができるように守ってください。愛する主イエスさまのお名前によってお祈りします。

1月3日土曜
ヨハネの手紙三 1:5-6 新共同訳
 愛する者よ、あなたは、兄弟たち、それも、よそから来た人たちのために誠意をもって尽くしています。  彼らは教会であなたの愛を証ししました。どうか、神に喜ばれるように、彼らを送り出してください。

(黙想)
 当時の教会の人が行なっていたことは、巡回預言者たちのもてなしでした。当時の宿泊事情は、劣悪でした。その泊まっているところで、不品行が行なわれていたりして、クリスチャンには泊まれるようなものではありませんでした。ですから、他のクリスチャンがその旅人をもてなすことは、現代以上に必然的なことだったのです。その旅人をもてなしていたことで、彼らを愛していたのです。ヨハネは第一の手紙で、「口先だけでなく、真実な行ないをもって愛しなさい。」と勧めていましたが、教会の人たちは、それを行なっていたのです。

(祈り)
あわれ み深い 天の神さま、あなたは 教会のためにで働く同労者のために愛を表すことを求めておられます。ともすると、自分たちだけの世界にとじこもってしまう私たちに、あなたは、心を開いて交わるように願っておられます。どうか、積極的に愛を表すことができるように、私たちに勇気と力を与えてください。愛に満ちた主のお名前によって祈ります。

1月2日金曜日
ペトロの手紙一 3:9 新共同訳
  悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです。

ペテロの手紙はずっと、「悪いことをされたらどうするのか」というテーマが貫かれていますが、ここでも、「悪には悪で報いず、侮辱には侮辱をもって報いず」とあります。そして、「祝福を受け継ぐために召された」とあります。私たちは、自分がどのような召しがあるのか、悩むと思います。自分が教会の中でどのような働きがあるのかを考えるでしょう。聖書は、何のために私たちを召してくださっているのかを、はっきりと書いています。ここでは、「祝福するために」私たちを召してくださっている、とあります。自分が人をどのように祝福しているでしょうか?神さまから呼びかけられているのは、「ほら、あそこにいる人を、ここにいる人を、祝福しなさい。」という言葉なのです。

(祈り)
愛する天の神さま、 私が前を向いてあなたを見続けることができるように助け 導いてください。どうか私があなた以外のものに頼ろうとしたら引き離してください。あなたの永遠のみ腕で私が安全でいられるように支えてください。主イエス様の名前によって お祈りいたします。 アーメン

2026年元旦
ヨハネの手紙一 4:9 新共同訳
 神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。

 神の愛は無条件の愛です。私たちが神を愛したから神に愛されているのではなく、神が私たちを愛してくださいました。私たちは、人に気に入られるために、人に愛されるために一生懸命になることがありますが、神に対しても同じことをしてしまいます。神に気に入られるために、神に愛されるために、神を喜ばせたいと思ってしまいます。しかし、神は、愛されるべき理由がない、むしろ憎まれるべき理由をたくさん持っている自分に対して、神は愛してくださいました。罪のための、なだめの供え物とは、神の怒りを満足させるものであります。その供え物となるために、ご自分のひとり子を犠牲とされました。それほど神は、私たちを愛してくださっています。これは私たちが神を愛するから愛されるという次元の問題ではなく、無条件の愛です。

(祈り)
天の神様 新しい年が始まりました 。あなたが私の人生に ずっと働きかけ 、新しさをもたらしてくださることを感謝いたします。神様この日を あなたからのかけがえのない贈り物として受け取ることができますように。また、あなたが新しいことを行われるので、私の前に広がる新たな喜びを素直に受け留めさせてください。尊い主のお名前によって祈ります。アーメン





日の聖句2025年12月
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