今日の聖句 2026年2月 nagarenohotori
聖句は基本的には新共同訳聖書を使用しています
2月28日土曜日
エフェソの信徒への手紙 2:10 新共同訳
なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。
(黙想)
救われた私たちは「神に造られたもの(神の作品)」であると、パウロは言っています。この作品とは、ギリシヤ語で「ポエマ」であり、その言葉から英語の「ポエム」つまり「詩」が派生しました。つまり、私たちは神の芸術品なのです。私たちは、他の聖書個所で、「陶器」であるとも言われています。神が陶器師であり私たちが陶器です。神の願われるままに、神の喜びとして、私たちは形造られていきます。私たちはただ、主の御手の中に生き、主に委ねて、主がなされることに身を任せることが必要です。
(祈り)
天地を造られた神様、あなたはその世界を見て良いものができたと言われています。 神様の手によるものは皆良いものであったのです 。私たちも良いものとして造られています。
しかし 、その 私たちが、誘惑されて、神様の造られたように歩むことができなくなりなりました。けれども、創り主である神様はもう一度私たちが良いものになるように救いの道を開いてくださいました
。イエス・キリストによって私たちは 改めて 神様に造られた 良いものに戻ることができています。 神様、どうか私たちが造られたあなたの意思に従って
、良いことを表して、その歩みを続けることができるように、助けを与え導いてください。主のお名前によって お祈りいたします。ア ーメン
2月27日金曜日
ルカによる福音書 18:7-8 新共同訳
「まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。 言っておくが、神は速やかに裁いてくださる。しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」
(黙想)
この世に不法がはびこるので、私たちは苦しみますが、神はすみやかにさばいてくださいます。キリストが再び来られるとき、正しいさばきが行なわれます。けれども、実際にさばかれるときに、信仰をもって生きる人々が少なくなることを、イエスは預言されています。イエスは、「努力して狭い門から入りなさい。」と言われました。また、終わりの日に、多くの者が、「主よ。主よ。」と言うが神の国に入れません。私たちはどうでしょうか。神がすみやかにさばいてくださることを信じているでしょうか。それとも、主人の帰りはまだ遅いと思い、この世のことに目を向けているでしょうか。
(祈り)
全能の神様
、私たちに恵みを与え 、心と唇を持って あなたに向かわせてください。 あなたはどこにもおられ 、あなたには何も隠すことはできません。 誠実に愛を
持って、思いをあなたに向けるように教えてください。 今日も、そしていつまでも、私たちがあなたの 来臨を強く願って
待ち望むことができるように、信仰を与えて導いてください、。私たちの イエス・キリストによって お祈りします。ア ーメン
2月26日木曜日
箴言 4:18 新共同訳
神に従う人の道は輝き出る光 進むほどに光は増し、真昼の輝きとなる。
(黙想)
キリストは、マラキ書3章20節で「義の太陽」と呼ばれています。そして義人も、ダニエル書12章3節には、「目覚めた人々は大空の光のように輝き 多くの者の救いとなった人々は
とこしえに星と輝く」という約束があります。
(祈り)
天の神様、あなたの 御名をほめ讃えます 。今日も私の力があなたの目的にかなった形で用いられるように導いてください。 私自身の要求であなたを利用するのではなく、あなたの要求に私が従うことができるように助けて、私たちの歩みを輝かせてください。主イエス様のお名前によって
祈ります。ア ーメン
2月25日水曜日
マタイによる福音書 17:5-6 新共同訳
ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。
弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。
(黙想)
天からの声、すなわち父なる神の声です。弟子たちが恐がっていますが、思えばモーセ率いるイスラエルの民も、シナイ山からの神の声に震えおののいていました。そしてこの方が言われた言葉が、「これは、わたしの愛する子」であります。ペテロは傾聴すべきです。この方のみが選ばれたキリストであり、唯一の神の独り子です。そして、ペテロが指図するのではなく、「彼の言うことを聞きなさい」であります。
このようにして、父なる神ご自身が御子を認証されたのは、他に公生涯が始まる時にバプテスマを受けられた時です。その時は公生涯における油注ぎを示していましたが、ここでは、主がこれから十字架の栄光、また復活と昇天にある栄光を示す使命を与えられていることを明らかにされました。
(祈り)
天の神様、私たちの主であるイエス・キリストがあなたの栄光 の実現 であり、あなたの愛の素晴らしさに気づかせてくださることを感謝いたします 。どうか、この主を崇めることができますように、
賛美することはできますように 、私たちの命をこの方に集中させることができますように。姿を変えられたイエス様と、十字架につけられ 私の苦しみを負ってくださったキリスト·・
イエス 様の存在を感謝して、このレントの時を過ごすことができるようにしてください。主のお名前によって祈ります。アーメン
2月24日火曜日
ヤコブの手紙 2:15-16 新共同訳
もし、兄弟あるいは姉妹が、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとき、 あなたがたのだれかが、彼らに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹するまで食べなさい」と言うだけで、体に必要なものを何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう。
(黙想)
信仰も、もし行ないがなかったなら、それだけでは、死んだものです。死んでいる、すなわち、無きに等しい、信仰を持っていても無意味である、ということです。私たちが信仰を持っているのは、良い行ないをするためです。パウロはエペソ人への手紙の中で、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。(2:8)」と言った後に、「なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです(2:10)」と言っています。私たちは、行ないによって救われるのではありませんが、行ないのために救われます。良い行ないをするために、救いにあず
かります。
(祈り)
天の神さま、今日も新しい一日を歩むようにと励ましてくださり、感謝いたします。どうか、あなたの恵みによって、与えられた務めを果たすことができるようにお導きください。加えて、あなたが備えてくださる機会に良い行いをもって応えることができますように、尊い主のお名前によってお祈りいたします。アーメン
2月23日月曜日
ヨハネの手紙一 3:8 新共同訳
罪を犯す者は悪魔に属します。悪魔は初めから罪を犯しているからです。悪魔の働きを滅ぼすためにこそ、神の子が現れたのです。
(黙想)
罪のうちを歩む、罪の中に生きるのは、生まれながらの姿で生きているからです。その、生まれながらの姿で生きるとき、人は悪魔の支配の中で生きています。イエスさまは、ユダヤ人の宗教指導者と話されているときに、非常に過激なことを語られました。「あなたたちは、悪魔である父から出た者であって、その父の欲望を満たしたいと思っている。(ヨハネ8:44)」
イエスさまがこの言葉を語られたとき、ユダヤ人指導者らは、イエスを憎み、イエスを殺そうと思っていたところで、人殺しの父であり、初めから罪を犯している者である悪魔から出た者である、ということです。ですから、ユダヤ人だけでなく、だれでも罪を犯しているなら、その人は悪魔から出た者であると言えるのです。
(祈り)
天の神様、私の中の どんなに小さな悪意をも赦してください。 不親切な振る舞いをお赦ください 。正しくないことや 意地悪の悪いことを考えたことも
どうぞ 赦してください。 神様、あなたの光を求める者たちの心を洗い 、癒してください。私たちの心から 怒りや 罪悪感、 欲求不満など一切の悪意を取り除いてください。主の御名によって
祈ります。 アーメン
2月22日日曜日
コリントの信徒への手紙二 8:9 新共同訳
あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。
(黙想)
あなたがたは豊かな者となったのです、とパウロは言っていますが、私たちはキリストのみわざによって、霊的に富むものとなりました。エペソ書1章には、「神はキリストにおいて、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。」と書いています。けれども、これほどまでに富むことができたのは、その富を施した人がいるからです。その方が私たちの主イエス・キリストです。富を施したのですから、施した本人は貧しくなります。イエスさまは、私たちにご自分の富を与えられたので、貧しい者となられたのです。
(祈り)
天の父なる神様、あなたは御子イエスを貧しさの窮みにおいて この世に遣わされました。 それは 主イエスが人間の貧しさを窮みまで 知り尽くし, ご自身の貧しさによって、
私たちを豊かにするためでありました。どうか、私たちのために自ら 貧しくなりたもうた 主に倣って、 他者のために自ら 貧しくなることを得させてください。
貧しき者とともに居た もうキリストの聖名によって 祈ります。ア ーメン
2月21日土曜日
イザヤ書 43:18-19 新共同訳
[18] 初めからのことを思い出すな。 昔のことを思いめぐらすな。 [19] 見よ、新しいことをわたしは行う。 今や、それは芽生えている。 あなたたちはそれを悟らないのか。
わたしは荒れ野に道を敷き 砂漠に大河を流れさせる。
(黙想)
昔のことを考えるな、と主は戒めておられます。つまり、神の民イスラエルは昔のことを考えてしまう、ということです。これまでのように、イスラエルが虐げられ続けると思ってしまいます。昔がこうだったのだから、これからもそうであろうとがっかりしています。
いやそうではない、新しい事をするのだ、と主は仰せになっています。私たちも、「だれでもキリストの内にある者は新しく造られたものである」と言われて、「でも古いものはまだたくさんあるからね。新しくなっていないよ。」という否定する気持ちが出てこないでしょうか。だから、主は強く言われるのです、「昔のことを考えるな。」と。古いものは過ぎ去ったのです。
(祈り)
天の神様 、この新しい日を感謝します。 あなたがその御手に永遠を握っておられますから、 夜眠りに着いた時、 次の日には また目が覚めると信じることができています。
時間というものをなお一層 尊いものとして扱うことができますように! 時間の所有者はあなたです。 地上 での貴重な 時間を、いつも賢く用いることはできますように、
主の御名によって お願いいたします。ア ーメン
2月20日金曜日
詩編 40:12 新共同訳
主よ、あなたも憐れみの心を閉ざすことなく 慈しみとまことによって いつもわたしをお守りください。
(黙想)
主の御計りが数知れないと賛美しました。とこらが、病が押し寄せてきて、そこで思い出される咎も数えきれないほど押し寄せてきます。
怒涛のごとく、自分の罪が押し寄せています。今さっき神の救いを経験したのに、なぜまた、救いのための祈りをささげなければいけないのでしょうか?
この祈りから、私たちは、救いそのものが大事なのではなく、主により頼むことがもっと大事であることを学びます。罪からの救いはすばらしいです。けれども、もし罪からの解放が一発で与えられて、それで喜んでいるだけなら、主との関係は浅いものになるでしょう。けれども、主はもっと深くご自分を知ってほしいと願われています。私たちが一歩一歩、主に拠り頼むことによって、そのときの主の恵みを知ることができます。
(祈り)
父なる神様、困難を覚える時には独りではないと分からせてください 。平安と慰めを与えてくださる御手 を見ることができますように。また、 試練に立ち向かい
、それを祝福に変えることはできるように支えてください 。悲しいこと、 難しいこと 、予期せぬ出来事など一切はあなたのご支配のもとにあります。
どうか、あなたを信頼することができますように、御手を伸ばして、私を落ち着かせ、固い地 上を歩かせてください。 尊い主のお名前によって お祈りします。ア
ーメン
2月19日木曜日
詩編 66:6, 8-9 新共同訳
[6] 神は海を変えて乾いた地とされた。 人は大河であったところを歩いて渡った。 それゆえ、我らは神を喜び祝った。
[8] 諸国の民よ、我らの神を祝し 賛美の歌声を響かせよ。 [9] 神は我らの魂に命を得させてくださる。 我らの足がよろめくのを許されない。
(黙想)
讃美の根拠として、出エジプトの出来事とヨルダン川の渡河の出来事を挙げています。6 節に海を変えたと言っていますが、これは紅海が分かれたことです。そして川の中を歩いて渡るのが、ヨシュア率いるイスラエルがヨルダン川を渡ったところです。これは二つとも、国々対して大きな証しでありました。当時の超大国エジプトの軍隊が沈んだのです。そして、ヨルダン川では、そこを渡り、同時の先進的なカナンの国々を制圧しました。そこに天地を創造された神がおられることを、神を信じない国民がまざまざと見たのです。そこで賛美を、国々も行なうように呼びかけています。
(祈り)
天の神様 あなたがいつも見守っていてくださるので、私はあなたの優しい腕の中で安らいでいます。 あなたは母鳥のように 、翼を広げ 私たちを 近くに
抱き寄せてくださっています。 私たちを愛してくださりありがとうございます 。あなたの愛の心で私を囲ってください。 どうか、尽きることのない憐れみのゆえに、私たちはこれからもあなたを
力 強く 賛美することができますように導いてください。主イエス・キリストのお名前によって お祈りします。 アーメン
2月18日水曜日
ルカによる福音書 4:36-37 新共同訳
人々は皆驚いて、互いに言った。「この言葉はいったい何だろう。権威と力とをもって汚れた霊に命じると、出て行くとは。」 こうして、イエスのうわさは、辺り一帯に広まった。
(黙想)
人々は、イエスのことばに、悪霊を制する力をあることを認めました。悪霊に対して、イエスが力のあることを認めました。つまり、イエスの教えだけではなく、イエスの行われるわざに権威を認めたのです。これも、福音を受ける貧しい人の姿です。自分の生活に、人生に、イエスが新しい働きをされることを認めます。受け入れます。自分がイエスによって変化することを願います。
(祈り)
天の神様、あなたは天地の創造者 また支配者としての力を イエスを通して私たちにお示しになられたことを感謝いたします。み子イエスはあなたの生きた力を直接受けてお教えになり、聞く者に新鮮な喜びと驚きとお与えになりました。
またみ子の中に 誠に主の力が働いて 人々をお 癒しになりました。どうぞ、私たちも み子の言葉と業とに接して、驚くことを教えてください 。そこにはあなたの力が働いており、あなたの権威が宿ってることを、仕事の生活の中で学び
知ることを得させてください 。み子ミの名によって お祈りします。 アーメン
2月17日火曜日
コロサイの信徒への手紙 2:2-3 新共同訳
それは、この人々が心を励まされ、愛によって結び合わされ、理解力を豊かに与えられ、神の秘められた計画であるキリストを悟るようになるためです。
知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠れています。
(黙想)
パウロは1章において、神の奥義は、私たちのうちにおられるキリストである、と言いました。したがって、私たちが求めていくべくことは、私たちキリストを信じている者たちの交わりの中で、キリストを知っていくことができる、ということです。
その交わりに必要なのは、「心を励まされる」ことです。私たちが、主にあって、人を励ますとき、私たちのうちにキリストが形成されはじめます。そして、心に励ましを受けつつ、「愛によって結びあわされ」ができます。次に、「理解力を豊かに与えられ、神の秘められた計画であるキリストを悟るようになるため」とありますが、私たちは、神のみことばの学びを欠かすことはできません。神の奥義である、イエス・キリストは、この聖書によって啓示されているからです。しかし、もし、愛の結びつきがなく、ただ大学の講義のように、一人一人独立して聖書を学びに来ているのであれば、この全く豊かな確信に達することはできないのです。このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。 キリストはすべてのことにおいて第一の方となられましたが、知恵と知識においても第一の方であり、知恵と知識の源となられているので。
(祈り)
父なる神様、あなたの 与えてくださる恵みを他にして私たちの信仰は存在いたしません 。どうか、あなたの恵みを喜び、
その恵みのうちに私の今立つ 基盤があることを 、朝ごと に、夜ごとに思わしめてください 。そしてそこから溢れる感謝が私の全身を包むようにしてください
。感謝の中にまかれ 発芽し ,生育し 、そして 実ったものがさらに隣人へと 渡され 信仰の喜びがこの地に広げていくことができるように、主の御名によって
お願いいたします 。アーメン
2月16日月曜日
マルコによる福音書 13:27 新共同訳
「 そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」
(黙想)
この選びの民は、最後まで残ったユダヤ人です。にせ預言者たちは、その苦難の間にさばかれて、殺されることがエゼキエル書に書かれています(20:38)。残された民はメシヤを求め、もう全滅するという危機一髪のときに、イエスが来られます。彼らは、自分の先祖が殺したイエスが、実はメシヤであることを悟り、嘆き悲しんで悔い改めます。その時に、恵みの御霊が彼らに注がれて、彼らの罪は赦され、心はきよめられるのです。そうして新生したユダヤ人が、四方からイエスのおられるエルサレムのところに集められます。
(祈り)
天の神さま、 時々私は自分がこの壊れかけた 世界の様々な要素にさらされてひとりぼっちで無防備な気がすることがあります 。そんな時は立ち止まって、
あなたが私のことを心配してくださることを思い出させてください。 どうか、私がいつもあなたに見守られてることを忘れないように助けてください。 どんなに状況が複雑で、どの道に住んで進んだらいいかわからない時も、あなたが私と私の置かれてる状況について何もかも
知っておられることを感謝することができますように、 私を勇気づけ 希望を与えてください。 いつも守ってくださる 主イエス・キリストのお名前によって
お祈りします。 アーメン
2月15日日曜日
エフェソの信徒への手紙 4:31-32 新共同訳
無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなどすべてを、一切の悪意と一緒に捨てなさい。 互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。
(黙想)
私たちは果たして、神がキリストにおいて赦してくださったように、人を赦すことができるのでしょうか?答えは「はい」です。赦すというのは、意志の問題です。赦せないという感情があっても、「私は、キリストにあって、この人を赦します。」という決断をします。そうすれば、神があなたをキリストにあって赦してくださった、その赦しの力をあなたに与えてくださるでしょう。
赦しの力は御霊によるものです。私たちは、あくまでも、ここにパウロは勧めているように、赦すという決断をすることです。
(祈り)
天の父なる神様、私の中の どんなに小さな悪意も赦してください 。不親切な振る舞いをお赦しください 。正しくないことや意地の悪いことを考えたことも
どうぞ 赦してください 。主よ、 あなたの光を求める者たちの心を洗い、 癒してください。私たちの心から、 怒りや 罪悪感 、欲求不満など一切の悪意を取り除いてください。
救い主 キリストのみ名によって 祈ります。 アーメン
2月13日土曜日
使徒言行録 9:31 新共同訳
こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった。
(黙想)
教会は(特にアメリカの教会は)、今も多くの国々に宣教師を送り出しています。彼らは福音とともに、医療、教育、福祉などを行って、その土地の人々を助ける働きをも行っています。これらの働きをサポートする教会は、今日の聖句にあるように、逆に、教えられ、励まされて、強められ、成長しています。それは海外宣教だけでなく、教会の置かれているところで、社会貢献などを行う教会においても見られる傾向です。
(祈り)
天の神さま、イエス・キリストは「全世界に出て行って福音を宣べ伝えよ」と教えておられます。どうか、このみ言葉に励まされて、神の言葉である福音を語り、広めることを行わせてください。聖霊の慰めを私たちにも与えてください。救い主のお名前によって祈ります。アーメン
2月13日金曜日
コロサイの信徒への手紙 2:6-7 新共同訳
あなたがたは、主キリスト・イエスを受け入れたのですから、キリストに結ばれて歩みなさい。 キリストに根を下ろして造り上げられ、教えられたとおりの信仰をしっかり守って、あふれるばかりに感謝しなさい。
(黙想)
パウロがここで言っているのは、「主イエス・キリストを聞いて、その信じたとおりに歩みなさい。」ということであります。信じてから、また別の新しい歩みがあるのではなく、信じているその信仰をさらに深めなさい、ということであります。
あなたがたは、主イエス・キリストを受け入れたように、彼にあって歩みなさい、と言っています。
初めに、キリストの中に根ざします。言い換えれば、自分が教えられたところのキリストの中にとどまるということです。そして、その土台から建てられます。まず根をはって、その根から成長していかなければいけません。そして、教えられたとおりに信仰を堅くします。これは確立させると言っても良いかもしれません。自分が信じたとおりのものが、見えるかたちで、自分にもまた他人にも明らかになります。
その結果、「あふれるばかりに感謝しなさい」となります。あふれるばかりの感謝の生活が、このプロセスを通ることによって結ばれる実です。
(祈り)
天の神様 私たちに 信仰を与え それを恵んでくださることを感謝いたします。 どうか、あなたの恵みを喜び、その恵みの内に私の今置かれている 基盤があることを、
朝ごとに、夜ごとに思わしめてください。 そして、そこから溢れる感謝が私の全身を包むようにしてください 。感謝の中にまかれ 発芽し 生育し そして
実ったものがさらに隣人へと 渡され、信仰 の喜びと感謝に溢れた世界をこの地上に広げてください。主の御名によって 祈ります 。アーメン
2月12日木曜日
ヨハネの手紙一 3:5-6 新共同訳
あなたがたも知っているように、御子は罪を除くために現れました。御子には罪がありません。 御子の内にいつもいる人は皆、罪を犯しません。罪を犯す者は皆、御子を見たこともなく、知ってもいません。
(黙想)
キリストが来られたのは、私たちがありのままで、自分が生きてきたその生き方を是認するためではなく、私たちから罪を取り除くために来られました。キリストには罪はありません。ですから、罪のないキリストのうちにとどまっているなら、罪を犯せません。罪のうちを歩んでいるなら、罪のないキリストを体験していないし、出会ってもいません。
(祈り)
愛する主イエスさま、私はあなたの平安によって憩うために、あなたのもとに来ました。 あなたのみ顔の光が 私を照らし、 あなたの平安が与えられますようにて。自分自身で物事を理解しようとせず、にあなたのところに来て、
何もかも ご存知で理解しておられる あなたにお委ねして心から くつろぐ ことができるように導いてください 。恵み深い あなたのお名前によって
お祈りします 。アーメン
2月11日水曜日
ローマの信徒への手紙 11:32 新共同訳
神はすべての人を不従順の状態に閉じ込められましたが、それは、すべての人を憐れむためだったのです。
(黙想)
神は分け隔てなさらない方です。神のご計画には、地上のすべての民族がご自分のあわれみのもとに入ってほしいという願いがありました。けれども、あわれみを受けるためには、すべての人が不従順であることが証明されなければいけません。そこで、神はまずイスラエルをご自分の民となさいました。そうすることによって、異邦人である私たちが、偶像に仕える不従順な者とされました。今度は逆に、イスラエルが福音に敵対するように、彼らをつまずかせて、私たちが代わりに福音に従順になるようにされたのです。こうしてすべての人があわれみを受け、すべての人が不従順のうちに閉じ込められました。
(祈り)
天の神さま、私たちは弱いもので 力あるものに屈したり 多数のものに押し切られたり、また自分の思いとは異なることに押し切られて、あなたを悲しませる愚かなものです。どうか、あなたが力を与え、正しいことを行わせてくださること、そのために、御子イエスさまが助けを与えてくださることを信じて、あなたの栄光を見させてください。尊い救い主のお名前によって祈ります。アーメン
2月10日火曜日
テモテへの手紙一 1:15-16 新共同訳
「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる者です。
しかし、わたしが憐れみを受けたのは、キリスト・イエスがまずそのわたしに限りない忍耐をお示しになり、わたしがこの方を信じて永遠の命を得ようとしている人々の手本となるためでした。
(黙想)
パウロは、「その罪人のさいたる者」です、とまで言い切れています。自分が犯した罪を思うとき、人はその過去から目をそらしたくなります。そして、自分を正当化して、過去に犯した自分と切り離そうとします。主の働き人であれば、その基準はとても高いので、自分が失敗したことは、汚名につながることで葬っておきたいのです。しかし、彼は罪人さいたる者(かしら)、と言ってはばかりません。ここに、私たちが主にお仕えするときの正しい理解が求められます。多くの人は、人の献身の証しを聞き、その人がいかにすぐれた品性を持っていて、いかに大きな働きをしたかなどの、その人の正しさを判断基準にしようとします。しかし、このパウロの、「私は罪人のかしらです」と言える人こそ、奉仕者にふさわしい人なのです。言い換えれば、悔い改めることを知っている人です。真の献身者とは、正しい人ではなく悔い改める人です。
(祈り)
父なる神さま、み子 キリスト・ イエスが罪人を救うために この世に来てくださったことを信じて感謝いたします。 私たちは 以前には神をそしる 者
、迫害する者、 不遜な者、無知な者であり 、まさに罪人の頭でありました。 しかし 、キリスト ・イエスは私たちに対して限りない 寛容を示し、
憐れみを与え、 信仰を起こして 永遠の命を受ける者にしてくださいました。どうか、私たちを強めて主に対する信仰と愛と増し加え、 忠実な者として
福音の務めに励むことができるようにしてください。 尊い 主のお名前によって お祈りいたします 。アーメン
2月9日月曜日
ヨハネによる福音書 15:16-17 新共同訳
あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。
互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」
(黙想)
私たちが神様について思う前から、神様は私たちのことを思っておられます。 私たちには神様が必要なのだと決断する前から、神様は私たちを必要としておられます。
私たちがどんなに頑張って計画しても、神様はそれよりずっと素晴らしい計画を用意していてくださるのです。
(祈り)
天の神様、あなたは何の目的もないまま私を選んだりはなさらないと思います。 考えておられること、 私のために備えて備えられている役割 、恵み、愛の業を、どうか、私に示して教えてください。
イエス様のお名前によって お願いします 。アーメン
2月8日日曜日
ルカによる福音書 8:15 新共同訳
「良い土地に落ちたのは、立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人たちである。」
(黙想)
この聞き方は、岩のように感情的にだけみことばを聞きません。みことばに、自分の人生や生活に照らして、神に心の奥底まで探っていただく聞き方です。また、いばらのように二心で聞きません。純粋にみことばだけを聞いて、みことば以外のものは退ける聞き方です。そして、しっかりと守り、よく耐えて聞きます。試練があってもみことばをしっかりつかみ、世の誘惑や惑わしがあっても、みことばによってそれを拒絶します。そして、はじめて実を結ばせることができるのです。
ですから、ある意味で、非常に貪欲的な聞き方、意識的な、積極的な聞き方が、神の国を知るのに必要なことなのです。
(祈り)
天にいます 父なる神様、私たちはイエス様が地上に生きておられた時から2000年近くも 隔たっておりますけれども 、聖書によって イエス様の言葉を聞くことはできますし、
イエス様がキリストであることを信じて 証し した人たちの言葉を聞くことができています 。聖書を与えられてることの尊さは計り知ることはできません。
その大きな恵みを心から感謝いたします 。神様、どうか、私たちが 聖書によって イエス・キリストを正しく深く知ることができるように、私たちの心をあなたに向かって開かせてください
。聖書の言葉が私たちの心をかすめて通り過ぎることに終わらず、心に深く入って信仰の源となり 、土台となることができますように。 私たちの心を 人間的欲望や世間的考え方に支配されることから守ってくださるように、主イエス様の御名によって
お願いいたします 。アーメン
2月7日土曜日
エフェソの信徒への手紙 2:14-16 新共同訳
実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、 規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、
十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。
(黙想)
パウロはここで、律法の中にある、いけにえの制度のことについて触れています。レビ記において、イスラエル人が、全焼のいけにえ、穀物のささげもの、そして、和解のいけにえをささげることについて書かれていますが、そこの「和解」というのが、ここで出てくる「平和」であります。ヘブル語では、シャロームです。イスラエル人が、自分を神に聖別するための全焼のいけにえをささげてから、神を賛美し、神に感謝し、人々と楽しく交わるときには、和解のいけにえをささげます。牛や羊をほふり、血を祭壇に流します。そして、脂肪や内臓の部分は火で焼いて神におささげします。けれども肉の部分を食べることができます。このような分け隔てのない主にある交わりを和解のいけにえによって行なうのですが、ここではキリストがこのいけにえになられた、ということが書かれているのです。イエスさまがいけにえとして血を流され、そしてイエスさまの肉によって、ユダヤ人も異邦人も一つとなって、神を賛美し、礼拝することができる、というものです。
ここに「隔ての壁」とありますが、これはおそらく、神殿における異邦人とユダヤ人を隔てる壁であったと思われます。神殿には、祭司だけが入ることができるところ、またイスラエル人の男子は入れても女子は入ることができないところ、そして婦人の庭、そしてその外側に異邦人の庭がありました。異邦人の庭との隔ての壁には、「異邦人、諸国の民は、ここから入れば、死の痛みをともなう。」という言葉が刻み込まれていました。しかし、キリストが十字架につけられた今、この隔ての壁はなくなったのです。
(祈り)
天の神さま、安らぎを得ることは何と幸いなことでしょう。御子キリストは、私たちの心を新たにし 考え方を改めさせ 新しい人間へと変えてくださっています。どうか、私の全てを持って、あなたを仰ぎ見て歩むことができるように導いてください。また、神さま、あなたの愛と恵みで私を満たし、
誰とも平和を分かち合うことができる者にならせてください。平和の君なる主のお名前によってお祈りします。アーメン
2月6日金曜日
ダニエル書 9:7 新共同訳
主よ、あなたは正しくいます。わたしたちユダの者、エルサレムの住民、すなわち、あなたに背いた罪のために全世界に散らされて、遠くにまた近くに住むイスラエルの民すべてが、今日のように恥を被っているのは当然なのです。
(黙想)
ダニエルが強調しているのは、「恥を被っているのは当然」だということです。主が、ユダの人々、エルサレムの住民を国々に追い散らされたことは、完全に正しいことであり、そうなったのは自分たちのせいである。もっぱら自分たちの不信の罪のためであると、責任を受け入れています。「神が正しく、自分に非がある」というへりくだった姿勢が、神に受け入れられる根本的なものなのです。
(祈り)
恵み深い 父なる神さま、あなたは かつて星を用いて 異邦人にみ手を表し 救いに導いてくださいました 。あなたの み業は闇夜における灯台の明かりのように、暗黒と死の陰に住むものを照らし
、その輝きは私たちの元にまで及んでいます、どうか、 私たちも 目を開いて見るべきものを見させ、あなたがまことに正しく、私たちは罪深い者であることを覚えさせてください。尊い主のお名前によって祈ります。アーメン
2月5日木曜日
テサロニケの信徒への手紙二 3:2-3 新共同訳
また、わたしたちが道に外れた悪人どもから逃れられるように、と祈ってください。すべての人に、信仰があるわけではないのです。 しかし、主は真実な方です。必ずあなたがたを強め、悪い者から守ってくださいます。
(黙想)
パウロはコリントの町にいますが、彼の使徒職に挑みかかる者たち、パウロの教えにはむかう者たちがいました。このような者たちから守られるように祈ってほしいと言っています。
けれども、パウロはすぐ、自分のことから離れて、テサロニケの人たちを励ますことばに戻しています。テサロニケの人たちにも、さまざまな悪意をもった教師たちがやって来ているでしょうが、主は真実なかたであるから、彼らを悪い者、悪魔から守られると信じています。
パウロはテサロニケ人への手紙第一で、とくに5章の中に、さまざまな勧めをしました。「いつも喜んでいなさい。」「絶えず祈りなさい。」「いつも感謝しなさい。」など。これらを彼らが実行してくれるとパウロは主にあって確信しています。
(祈り)
天の父なる神様、あなたは 多くの恵みを 私の人生に 注いてくださいました。 あなたの恵みを喜びと感謝に満ちた心で受け止め 、あなたの恵み から受ける喜びと楽しさがさらに増し加えられるようしてください。あなたはいつも私と共にいてくださいます
。私の右の手をしっかりと握って 、私を諭して導いてくださっています。 どうか、あなたのみ顔の光が 私を照らし 、私の前に広がる道を明るくして
歩ませてくださいますように、 あなたのみ子キリストのお名前によって お祈りします。ア ーメン
2月4日水曜日
エレミヤ書 17:7-8 新共同訳
祝福されよ、主に信頼する人は。 主がその人のよりどころとなられる。 彼は水のほとりに植えられた木。 水路のほとりに根を張り
暑さが襲うのを見ることなく その葉は青々としている。 干ばつの年にも憂いがなく 実を結ぶことをやめない。
これはまさに、詩篇の始まりの言葉です。「その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。(1:3)」ここエレミヤ書では日照りの時でも同じように実を結ばせることができる、と言っています。この地上の国は必ず、人間に頼ります。肉を自分の腕とします。神を知らないのですから当然です。けれども、キリスト者は御言葉に聞きます。主のみを自分の泉とします。今日、価値観の変化、争いの増加、政治的不安の中に世界はいますが、この時こそ主に拠り頼み、祈りに励み、御言葉にしがみつく必要があるのではないでしょうか。
(祈り)
天の神さま、この世界の闇は広がっています。 あなたの輝かしい光によって、私たちが 物事をもっとはっきりと見られるように助けてください。どうか、
私の周りを取り囲む 世俗的なことに惑わされることがないように守ってください 。ああなたと共に光の中を歩むことが私にとって大きな喜びとなりますよう、毎朝
衣服を身につけるように、日々あなたの言葉を身に着けることができるようにしてください。憐れみ深い主のお名前によって 祈ります。 アーメン
2月3日火曜日
ヤコブの手紙 2:5 新共同訳
わたしの愛する兄弟たち、よく聞きなさい。神は世の貧しい人たちをあえて選んで、信仰に富ませ、御自身を愛する者に約束された国を、受け継ぐ者となさったではありませんか。
(黙想)
貧しければ、その人は信仰で豊かにならざるを得ません。自分には何もないのですから、信仰によって生きようとします。富んでいる人は、誘惑があります。神ではなく、その富により頼もうとすることと、絶えず対峙していかなければいけません。そして、信仰に富んでいれば、後に来る御国において富んだ者となります。御国は、信仰によって相続するからです。
(祈り)
あらゆる 良い 賜物の源 なる 天の神様、あなたはこの世の貧しい者を選んであなたの御国を継ぐものとしてくださることを約束なさいました。どうか、私を打ち砕いて
、本当に自分の貧しさを知ることができるようにしてください。私の周りに、また 私の知らないところに貧しい人々がいることを覚えます。 これらの人々が、あなたの素晴らしい賜物の約束を
知って喜ぶことができるように導いてください 。み子イエス・キリストによって お祈りします。ア ーメン
2月2日月曜日
ヘブライ人への手紙 10:35-36 新共同訳
だから、自分の確信を捨ててはいけません。この確信には大きな報いがあります。 神の御心を行って約束されたものを受けるためには、忍耐が必要なのです。
(黙想)
大事なのは、初めのころの確信です。この確信は、無防備でいたり、受動的であったりすると、沖に流されていくボートのように、押し流されてしまいます。この確信を抱いていること、単純なのですが、このことだけが私たちが天からの報いを受ける手段となります。
忍耐といっても、むやみやたらに我慢することではありません。イサクが生まれるのを待っていた、あのアブラハムのように、約束を信仰をもって見つめつづけていくこと、そのものが忍耐です。
(祈り)
私たちに永遠の御国を約束してくださった父なる神様、この日 私に与えられた 1日の時間があなたの約束してくださった 御国に近づくために用いられますように。しなければならない
仕事には進んであたり、 心の喜びを仕事の中に見いだすことができますように。 自分の能力にあまる 責任を与えられた時には 、たじろがず、あなたの助けを求めつつ
勇敢に事に当たり、 私にとっては取るに足らないと思われる 軽い 任務しか与えられない場合でも、 落胆せずあなどらず、 忠実に勤めを果たすことはできますように
。あなたのみ子が成し遂げてくださった 救いの御業により頼んで、 地上の歩みを一歩一歩踏みしめて進む 1日でありますように 祝福と平安とを与えください。
イエス・キリストの名前によって お祈りします 。アーメン
2月1日日曜日
ヨハネによる福音書 15:9 新共同訳
父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。
(黙想)
キリストは、 私たちとの距離は違っても、常に 私たちと共に歩んでくださるお方です。キリストが私たちといつも共におられるためには,じっと耐え、また
、平静であることが必要でした。 キリストがそのようになさったのですから、私たちも同じように行わせてください。キリストは、後に続くようにと 私たちに
見本を示し、意思を持たせ 、力をつけてくださったのでした。
(祈り)
天の神さま、あなたは堅固で着実ですが 、私はすぐ動揺し、 度々不安にかられます。 私がためらうことなくあなたをたたえ 、栄光のうちに生きるために、あなたの愛のうちに私をしっかりと立たせ
、あなたの目的を私に託してくださるように、尊い主イエス・キリストのお名前によって 祈ります 。アーメン
今日の聖句2026年2月
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