今日の聖句 2026年3月 nagarenohotori
聖句は基本的には新共同訳聖書を使用しています
3月12日木曜日
ローマの信徒への手紙 4:25
新共同訳
イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです。
(黙想)
神が主イエスを死者の中からよみがえらせた方であることを信じる信仰を、神は義とみなされます。これは、アブラハムがイサクをささげるときに、神はイサクを死者の中からよみがえらせてくださると信じて、神の御声に従おうとした信仰にならうことであります。キリストの復活を信じることは、望みえないときに望むことであり、神の約束をしっかりと握りしめることであり、神の栄光を帰し、その全能の力に確信していることであります。そして何よりも、キリストの復活を信じることは、神の恵みを知ることであります。アブラハムが、イサクを死者の中からよみがえると信じたのは、彼に強い意思力があったからでしょうか。かれが努力家であり、たくさん祈って、神に深く献身したからでしょうか。いいえ、まったく違います。アブラハムは、神を信じて、それで義とみなされました。彼は、その生涯に数多くの過ちを犯しました。しかし、神は不敬虔な者を義と認める方であり、その神の大らかさと、恵み深さを、アブラハムは長い年月をかけて学んだのです。それゆえ、神をより深く信頼できるようになり、神に試されたときも、自然な応答として、イサクをささげる準備を始めました。私たちも、神が、キリストにあって行なってくださったことを知ることにより、神への愛と献身が増し加わり、キリストの復活の力に拠り頼むことができるようになるのです。
(祈り)
天の父なる神様、
あなたの約束を信じて生きることを私たちにお許しください 。あなたの恵みにより 、御言葉を通して死人を生かし、無から有 を呼び出される神を信じ、
望みえないのに、な おも望みつつ 信じることはできますように 。そして、私たち自身の力に基づく行動でも、生き方でもなく、 私たちの主イエスを死人の中からよみがえ
らせた お方を信じることによって義とされるのだということを、感謝と喜びを持って 見出すことができますように 。主のみ名によって 祈ります
。アーメン
3月11日水曜日
マタイによる福音書 8:16-17 新共同訳
夕方になると、人々は悪霊に取りつかれた者を大勢連れて来た。イエスは言葉で悪霊を追い出し、病人を皆いやされた。 それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。
「彼はわたしたちの患いを負い、 わたしたちの病を担った。」
(黙想)
イエスのいやしによる宣教は、預言の成就でした。この預言の内容に注目すると、イエスがどのようにして人々をいやされたかが書かれています。わずらいを身に引き受け、病を背負ったとあります。イエスが、私たちの罪のために身代わりになって死なれたということは、私たちがよく知っている事ですが、実は病をも身代わりに受けられていたのです。この預言はイザヤ書53章4節にありますが、そこを読み進めると、5節に「彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」とあります。イエスは、十字架につけられる前に、39回のむちを受けられました。そのむちの先にはガラスや鉛の破片が入っていて、一度むち打つと、打たれた背中の肉がちぎれて飛びます。39回のむちによって、背中がどれだけ滅茶苦茶になったかは、想像できるでしょう。イエスは、この打ち傷によって私たちの病を背負われました。ですから、私たちが人々のいやしのために祈る時、イエスの身代わりの業にもとづいて祈る事が出来ます。イエスは、私たちの病を引き受けられたのです。
(祈り)
天の父なる神様、あなたのひとり子を私たちのところに送ってくださったことを感謝いたします。 彼は悪霊に疲れた人、病に取り憑かれた人 、悩みに取り憑かれた人
、寂しい人たち 、問題を抱えてる人たちを救い出すためにこの世に現れたのでした。 今もなお 本当に多くの人たちが 癒しを必要としています。 どうか、私たち主を信じる者が、病む人たち
苦しむ人たちを イエスさまのもとに導くことができますように、イエス様が 癒し主であることを、今も私たちの生活の中で確かなことであることを教えてください。
尊い主のみ名によって お祈りします。ア ーメン
3月10日火曜日
使徒言行録 4:29 新共同訳
主よ、今こそ彼らの脅しに目を留め、あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。
(黙想)
彼らは迫害に遭うことのないように、祈りませんでした。むしろ、迫害される原因である福音宣教を大胆に行なうことができるように祈りました。私たちの願いは、主のみこころを行なうことができるようにその力と知恵を求めなければいけません。この世にあって患難があって、その患難が過ぎ去るように願うのではなく、患難の中で主のみこころを行なうことができるように祈ります。
(祈り)
父なる神様、私たちには難しい問題がたくさんあります。 そして 個人の生き方においても、 社会のあり方についても、何が正しく何が間違ってるのかを決めかねてることも少なくありません。
どうか、私たちに本当に何が正しいのかを教えてください。また自分の考えていることや、していることが間違ってないと思い込んでしまうことのないようにしてください
。そんな迷いと不安の中にある時にも、 御言葉を宣べ伝える機会だと立ち上がった使徒たちのように、 私たちも御言葉を語り伝える働きのために勇気を、信仰
を、愛を与えてください。主のみ名によって お願いいたします。ア ーメン
3月9日月曜日
使徒言行録 17:26-27 新共同訳
神は、一人の人からすべての民族を造り出して、地上の至るところに住まわせ、季節を決め、彼らの居住地の境界をお決めになりました。
これは、人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことができるようにということなのです。実際、神はわたしたち一人一人から遠く離れてはおられません。
(黙想)
この一人の人とはアダムです。あるいは、洪水のあとのノアかもしれません。世界にはいろいろな人種、民族、国がありますが、みな同じ人から出てきました。それは、私たちが日本人であることから解放してくれます。私たちは日本人であるまえに、人間なのです。世界中のすべての人が同じ先祖を持ち、人間なのです。ですから、文化が異なっていても、言語が異なっていても、人はすべて同じ必要を持っています。神に愛され、罪が赦されたいと必要を持っているのです。
(祈り)
天地の造り主なる神さま、私たちを一人の一人からお創りくださり感謝します。しかも神さま、あなたに似せて造り、命の息を注いで生きる者にしてくれました。しかし、私たちは神
たるものを人間の技巧 や空想で金や銀や石などに貼り付けたものと同じ とみなすような無知の時代に生きています。 けれども 、あなたは御子イエスをこの世に遣わし
、私たちを 滅びることから救い出し、 永遠の命を与えてくださいました。どうか、このあなたが備えてくださった救いの道を、私たちがひたすらに歩むことができるようにしてください
。御子の名によってお祈りします 。アーメン
(今日の聖句)3月8日日曜日
ルカによる福音書 9:61-62 新共同訳
また、別の人も言った。「主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに行かせてください。」 イエスはその人に、「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」と言われた。
(黙想)
ここを読むと、キリストの弟子になることがとても大変なこと気づきます。けれども、そのことがここでの注意点ではありません。大切なのは、イエスがそのような差し迫った状況の中にいることなのです。御顔をエルサレムに向けたのは、ご自分が見捨てられ、死に渡されるのを、何があっても逃げないで直面するという決断です。大事なのは、そのキリストが私たちとともにいるということです。私たちが、毎日の生活の中で、疲れて、クリスチャンとしての歩みをやめたい、やめなくても、ちょっと後戻りしてみたいと感じるときがあるかもしれません。けれども、そのとき、イエスはあなたを見捨てておられず、「前を向きなさい。わたしがあなたとともにいる。進みなさい。」とおっしゃいます。人々から拒まれ、弟子たちも従うのをやめてしまった、あの辛さをみな知っておられます。その方が、私たちとともにいてくださるのです。キリストの弟子であることは、確かに大変です。けれども、イエスがともにおられるから大丈夫なのです。
(祈り)
天の父なる神様、御子イエスは私たちに弟子となるためにわきまえるべきことを一つ一つの言葉を 読み聞かせ ながら教えてくださっています。 それは私たちが生きていく上での慰めを失うことや、
古い価値観をわきへ押しやることなど、これまでとは全く異なる教えです。 イエスがもたらしてくださったこの教えを受け入れることができますように導いてください。
また イエスが行かれるところに 共に行くことができるように、どんなことでも喜んで行うことはできるように、勇気を与えて歩ませてください。愛する主のお名前によってお祈りいたします。アーメン
3月7日土曜日
ヨハネによる福音書 14:11-12 新共同訳
わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。
はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。
(黙想)
信じるというのは、信頼しなさいということです。単に信条を受け入れることではなく、人格的に、個人的に信頼を寄せることであります。イエスは、まず、「わたしが言うのを信じなさい。」と言われました。イエスが、ご自分についておっしゃっていることを信じることです。私たちの信仰は、イエスのご性質に対するものでなければいけません。例えば、イエスは神の子であり、全知全能である。永遠に生きておられる方であり、決して変わらない方である。愛と恵みに満ちておられ、また義と聖を身にまとっておられる。こうしたイエスのご性質に信頼を置きます。けれども、そこまで私たちが信頼を寄せることができないときのために、「わざそのものによって信じなさい。」とイエスは言われています。神を信じきることができない私たちのために、主は私たちをあわれんで、しるしを私たちに見せてくださいます。ものすごく小さな事かも知れませんが、神が確かに生きておられるを示すために、わざを見せてくださるのです。
(祈り)
天の神様、 あなたの独り子イエスを通して あなたの御心を教えてくださることを感謝いたします。御子イエスは明確に説得力を持ってあなたの御心を伝えました
。また完全な行いによってあなたを 正しく表してくださリ、 あなたの救いを示してくださったことを感謝いたします。神様、どうか、私たちが 御子の力に圧倒され、ただ
その業を真似るだけで、何一つ自ら取り組もうとしない者になることがないように 、神様、あなたが始められた 贖いの愛を伝えることを、あらゆる方法を用いて積極的に広めていくことを、私たちの中で行わせてください。救い主イエスさまのお名前によってお祈りいたします。アーメン
3月6日金曜日
ルカによる福音書 18:22-23 新共同訳
これを聞いて、イエスは言われた。「あなたに欠けているものがまだ一つある。持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」
しかし、その人はこれを聞いて非常に悲しんだ。大変な金持ちだったからである。
(黙想)
イエスは、ここで清貧を教えているのではありません。イエスは、この役人が神に従うのに妨げになっていたものを指摘されたのです。彼にとっては、お金が邪魔になっていました。石板の二枚目の掟は守っていましたが、一枚目は破っていました。「
あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。(出エジプト20:3)」とあります。お金を神としていたのです。ですから、イエスはそれを捨てなさいとおっしゃられたのであって、貧しくなることが神の国にはいることではありません。それでは、イエスは、私たちに何を捨てるように命じられているでしょうか。それは絶対に手放したくないもの。お金であろうと、何であろうと、イエスはそれを捨てなさいと言われているのです。
(祈り)
天の父なる神様、私の人生をあなたに委ねて歩めることができますように。 あなたの導きに自分を委ね、あなたの働きのために私の宝物さえも捧げ、真の
喜びが得られることを分からせてください。私はあなたに造られ生かされているものです。これからの 人生に何があろうとも、造り主の思いを理解して、そのための歩みを築き、慈しみ
と 憐れみを経験することができるように力を与えて導いてください 。イエス・キリストのお名前によって お願いいたします。ア ーメン
3月5日木曜日
ヨハネの黙示録 4:11 新共同訳
「主よ、わたしたちの神よ、 あなたこそ、 栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方。 あなたは万物を造られ、 御心によって万物は存在し、 また創造されたからです。」
(黙想)
「主よ。わたしたちの神よ。」ということばですが、その意味を考えてみましょう。「主」はもちろん、主人、あるいは自分が服従する相手です。この方が自分を支配する存在であることを認めることです。自分勝手なことをして、それで「主よ」と言っても意味がありません。次に、「神よ」とありますが、神とは名前ではなく、「自分を突き動かす情熱」と言い換えても良いかもしれません。自分が行なっていることを、行なわせているその情熱は何なのか。何が自分を突き動かしているのか?それが、お金であれば金が神です。それが名誉であれば名誉が神です。「主よ、わたしたちの神よ」と言うときは、主に自分
のすべてが任されている、自分が主によって突き動かされていることを告白しています。
(祈り)
天の神様 、物事が自分の思うようにいかない時でも明るくしていられることができるようにならせてください。 私が自分の人生におけるあなたの導きを受け入れ
、どんな状況においてもあなたを信じ 、お委ねできるように助け 導いてください。自分の感情を抑えようとして頑張る日々は挫折感を感じる時間が長くなり、
すでに起きてしまったことを後悔してエネルギーを浪費してしまいがちです 。過去は変えられないことはわかっています。 どうか、私にあなたが与えてくださる
現在の助けと、将来に対する希望とに感謝することを教えてください。主イエス・キリストのお名前によって お祈りします。 アーメン
3月4日水曜日
マタイによる福音書 7:11 新共同訳
このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。
(黙想)
再び、神が、「あなたがたの天の父」として紹介されています。私たちは良い行ないを積み上げて、神の御前に正しい者と認められるようにするのではありません。そうではなく、天と地とを造られた神を「父」と呼んで深い信頼を寄せること、つまり信仰による歩みをしているのです。イエスは私たちに善を行う力が全然ないことを、私たち以上によく知っておられます。ですから、自分の力で生きるのではなく、神にしっかりと結びついて、心を尽くしてより頼み、神の力によって歩みなさいと命令されているのです。この神との信頼関係が、キリスト教の真髄であります。
(祈り)
天の父なる神様、私のあらゆる 願いを あなたの愛のうちに成就させ、全ての求めをあなたの恵みのうちに完成させてください 。あなたが 祈りにおいて
招いてくださり、約束してくださってることを感謝いたします。 どうか、私が困窮している事柄を全て明らかに申し述べることができますように、また、あなたが知恵と平和を持って、それら対処してくださることを信頼して歩ませてください。
尊い主のお名前によって 祈ります。アーメン
3月3日火曜日
士師記 10:15-16 新共同訳
イスラエルの人々は主に言った。「わたしたちは罪を犯しました。わたしたちに対して何事でも御目にかなうことを行ってください。ただ、今日わたしたちを救い出してください。」
彼らが異国の神々を自分たちの中から一掃し、主に仕えるようになったので、主はイスラエルの苦しみが耐えられなくなった。
(黙想)
主は怒るにおそく、あわれみ深い方です。彼らの姿を見て、冷酷になることなく見るに忍びなくなっておられます。
ここでイスラエルが、外国の神々を取り去って、それで主に仕えているところに注目してください。むろんこれは後に再び外国の神々に戻ってしまうので、本当の意味で神々を捨て去ったわけではないのですが、けれども捨てていることは事実です。それではじめて、主があわれんでおられるのです。箴言には、「罪を隠している者は栄えない。
告白して罪を捨てる者は憐れみを受ける。(28:13」とあります。罪を告白し、その告白にそった行動を取る、つまり捨てるときに私たちは神のあわれみを受け、さばきを受けずに済みます。
(祈り)
天の神様、私の罪の代価を全て支払って 罪から解き放ってくださったことを感謝いたします。どうか、 あなたが私の生活の中にまで手を差し伸べ、心や
思いの複雑な部分にも語りかけてくださってことを感じることができますように。また、この世界が 問題ばかりでも、あなたが支配しておられ 私と共にいてくださるという事実に思いを集中できるように助けて
導いてください。今日も、イエス様が一緒にいてくださることを心に刻んであなたに向き合うことができるように、勝利の主、イエス様のお名前によって お祈りします。アーメン
3月2日月曜日
コリントの信徒への手紙一 4:7 新共同訳
あなたをほかの者たちよりも、優れた者としたのは、だれです。いったいあなたの持っているもので、いただかなかったものがあるでしょうか。もしいただいたのなら、なぜいただかなかったような顔をして高ぶるのですか。
(黙想)
コリントにいる教会は、自分がどこから出発したのかを忘れていました。罪と汚れの中から、キリストの十字架のみわざによって救われて、きよめられました。そして、御霊の賜物が与えられ、さまざまな知識と知恵が与えられました。けれども、これらはみな、神からいただいたプレゼントにしかすぎなく、彼らが自分自身も持っていたものは何一つありません。それなのに、「あの人は、あのようなことを行なっていない。」とか批判して、自分たちが持っているものを誇っているのです。私たちも、この高慢に気をつけなければいけません。いつも、自分がどこからスタートしたのかを忘れてはいけません。私たちには神から与えられた賜物がありますが、それはみな神の恵みによるものです。ですから、誇ることはできないのです
(祈り)
神様、あなたに頂いた賜物のゆえに、 私は へりくだります 。あなたはとこしえの命をくださっただけでなく、 この地上でのあふれるほどの豊かな命をも与えてくださいました
。あなたは私に才能や知性を授けて、 喜びをも与えてくださっています。どうか、あなたの愛の贈り物 を、たとえ私が忘れても さらなる愛と希望を与えて、私をお守りください
。あなたの恵みと賜物のゆえに、 今日も感謝と賛美を御前にお 献げいたします。 アーメン
3月1日日曜日
ヨハネの手紙一 5:3-4 新共同訳
神を愛するとは、神の掟を守ることです。神の掟は難しいものではありません。 神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。
(黙想)
イエスが弟子たちに、このことを教えておられました。「ヨハ 14:21 わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。」 愛していることを、どのように示すのか?と言えば、この方の言われることを聞いて、従うことです。命令を守ることによって、愛していることを示します。
そこで大事なのは、「神の命令は重荷とはなりません。」ということです。愛において、命じられていることを重荷と感じるでしょうか?愛が全うされていれば、しなければいけないことが、義務でしているようなことはなくなるはずです。ヤコブが、おじのラバンの家に仕えることを決めましたが、それは、彼の娘ラケルが好きになったからです。七年間、働きました。「創世
29:20 ヤコブはラケルのために七年間働いたが、彼女を愛していたので、それはほんの数日のように思われた。」 とあります。愛している人のためにすることは、重荷とはなりません。そして、愛が全うされていれば、そこでは神のことばが守られています
(祈り)
天の神様 、私たちに注がれたあなたの愛を感謝して あなたの戒めを守ることはできるように導いてください。神様、どのような人間的な状況の中にあっても、謙虚な心を失わないようにしてください。
あらゆる苦難を雄々しく 耐え抜く勇気と力とを与えてください。 いかなる敗北にあっても揺らぐことのない洞察力を与えてください。 様々な挫折にあっても
びくともしない心を持たせてください 。勝利の主キリストの御名によって 祈ります。アーメン
2月28日土曜日
エフェソの信徒への手紙 2:10 新共同訳
なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。
(黙想)
救われた私たちは「神に造られたもの(神の作品)」であると、パウロは言っています。この作品とは、ギリシヤ語で「ポエマ」であり、その言葉から英語の「ポエム」つまり「詩」が派生しました。つまり、私たちは神の芸術品なのです。私たちは、他の聖書個所で、「陶器」であるとも言われています。神が陶器師であり私たちが陶器です。神の願われるままに、神の喜びとして、私たちは形造られていきます。私たちはただ、主の御手の中に生き、主に委ねて、主がなされることに身を任せることが必要です。
(祈り)
天地を造られた神様、あなたはその世界を見て良いものができたと言われています。 神様の手によるものは皆良いものであったのです 。私たちも良いものとして造られています。
しかし 、その 私たちが、誘惑されて、神様の造られたように歩むことができなくなりなりました。けれども、創り主である神様はもう一度私たちが良いものになるように救いの道を開いてくださいました
。イエス・キリストによって私たちは 改めて 神様に造られた 良いものに戻ることができています。 神様、どうか私たちが造られたあなたの意思に従って
、良いことを表して、その歩みを続けることができるように、助けを与え導いてください。主のお名前によって お祈りいたします。ア ーメン
今日の聖句2026年3月
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