今日の聖句 2026年4月 nagarenohotori
聖句は基本的には新共同訳聖書を使用しています
4月30日木曜日
ペトロの手紙二 3:9 新共同訳
ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。
(黙想)
主がユダヤ人だけでなく異邦人にも救いを与える恵みの時代は、主が教会のために戻ってきてくださる携挙の時に終わります。主の来臨が遅れているように見えるのは、それを遅らせているのではなく、人々が悔い改めに導かれるように、主が忍耐深く待っておられるからです。これはクリスチャンだけでなく、未信者の救いもあります。主は今にでも来ようとされています。けれども、主はひとりでも滅んでほしくないと願って、忍耐深くあられるのです。エゼキエル33章1節には、「わたしは誓って言う。・・わたしは決して悪者の死を喜ばない。かえって、悪者がその態度を悔い改めて、生きることを喜ぶ。」とあります。
(お祈り)
天の神様 、私が今日も喜びを見いだせるように助け 導いてください 。御子イエスはご自分の前にある喜びのゆえに、十字架を忍という極度の苦悶を伴う決断をしてくださっています。 その喜びは 、多くの子たちを 栄光へと導くための 永遠の喜びでした。どうか、私があなたから目を離すことなく、 自分の試練の中に宝を探すことで、その喜びを 選び取ることができるようにしてください。 死も恐れぬ 主イエスのお名前によって お祈りします。アーメン
4月29日水曜日
マルコによる福音書 2:2-5 新共同訳
イエスが御言葉を語っておられると、 四人の男が中風の人を運んで来た。しかし、群衆に阻まれて、イエスのもとに連れて行くことができなかったので、イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした。
イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われた。
(黙想)
中風をわずらっている人が、4人の人にかつがれています。イエスは、この病人を治すのではなく、「あなたの罪は赦されました。」と言われています。この4人の者は、中風を治してもらうためにこんなに苦労して来たのですから、「あなたの罪は赦されました。」という言葉は、期待はずれだったでしょう。しかし、イエスは最も大切なことを一番最初に行われました。病気が治ったとしても、罪が赦されなければ無意味です。 最も大事なことを忘れてはなりません。それは、人が神に敵対する罪人であることであり、罪の赦しのために祈っていく必要があることなのです。
(お祈り)
天の父なる神さま、健康が守られ、新しい日を迎えることができ感謝いたします。私が病んだ時にには多くの人に祈られました。その祈りが私を助け、主の癒やしを引き出しています。どうか、私たちも励まして、病む者のために主の憐れみを祈り求めることができるように、主のお名前によってお願いいたします。アーメン
4月28日火曜日
ヨハネによる福音書 6:37-38 新共同訳
父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る。わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない。わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。
(黙想)
ここには、ものすごく大きな約束が詰まっています。それは「イエスを信じることをさえ、父なる神が導き、支えていてくださること」です。37節に、「父がわたしにお与えになる」とあります。「自分がしっかり神につながっていないと、しがみついていないと、私は神から引き離されてしまう。」という不安を感じられる方はおられるでしょうか?初めに信じた時に、そのような不安はあったでしょうか?他の大勢の人々が信じることができないのに、なぜか自分は信じることができた、という状況ではなかったのでしょうか?なぜなら、神がキリストにあって初めに私たちを救うように選んでくださったからです。
主が弟子たちに対して後にこう言われます。「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。(ヨハネ15:16)」私たちが努めて、主にしっかりくっついていることは大事です。けれどもそれ以上に、主がご自分の御手で私たちをしっかりと握りしめてくださっているのです。ちょうど小さな子供が父親の手をぎゅっと握っているのだけれども、実は父親の手がつかんでいるような状態です。
(お祈り)
天の父なる神様私は緑の牧場で憩うことを心から願っています。 どうか、私の羊飼いのもとで、くつろぎ 休むことができるように助け 導いてください。神様、私の願いは平和の道を、主と共に歩むこと
、そして主の平安のもとで生きたいと望む人々のために、 道を切り開くことにあります。私が、あなたに頼れば頼るほど、あなたは私の道に平安を注いでくださるお方であることを感謝して受け止めることができるように導いてください。主イエス・キリストのお名前によって
お祈りします。ア ーメン
4月27日月曜日
ルカによる福音書 12:27-28 新共同訳
野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。働きもせず紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことである。信仰の薄い者たちよ。
(黙想)
不思議なことに、私たちは、神がよくしてくださることを信じ切ることができません。悪いことが起こるのを信じたくないというのならわかりますが、良いことをしてくださるのを信じることができないんです。自分がある人をとっても気にかけて、愛しているのに、その人は自分に閉じこもって悩んでいるということを経験されたことはないでしょうか。とっても、じれったいでしょう。ましてや、神は、自分の内で思い悩んでいる私たちを見て、じれったく感じられているのです。
(お祈り)
天の神様 、私たちが あなたに信頼して、あなたのもとで過ごすことを楽しむために、もっとエネルギーを注げるように助けてください 。どうか、自分の状況に幸せを
左右されることなく、あなた ご自身とあなたのかけがえのない約束事に、私の喜びをつなぎ合わせることができますように。また、み言葉を通して あなたが私に語ってくださることを
尊く保ち、 あなたの栄光が、私たちを満たしてくださいますように、愛するみ子イエスのお名前によって お祈りします。アーメン。
4月26日日曜日
テトスへの手紙 2:11-13 新共同訳
実に、すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。 その恵みは、わたしたちが不信心と現世的な欲望を捨てて、この世で、思慮深く、正しく、信心深く生活するように教え、
また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。
(黙想)
私たちは、恵みによって、また信仰によって救われました。それは、私たちの行ないではなく、神の賜物であると、パウロはエペソ人への手紙2章において語りました。まさに、そのとおりです。罪の中で死んでおり、悪魔の思うままにされており、ただ神の怒りを受けるしかなかった私たちを、神はご自分のあわれみのゆえに、私たちをキリストとともに生かし、天のところにすわらせてくださいました。これはみな、神の恵みによる救いです。そこで、次からが大事です。では、何から救われたのでしょうか?罪と死と地獄から救われました。ですから、パウロはここで、「不敬虔とこの欲の欲とを捨て」と言っています。不敬虔とこの世の欲から救われたのです
から、救われた人とは、「この時代にあって、慎み深く、正しく、経験に生活し」ている人なのです。
パウロが何回も何回も繰り返し語っていたのが、主の再臨の希望です。これは、私たちがこの時代にあって、敬虔に正しく生きていくためには、絶対になければいけない希望であり、信仰です。もしこの希望がなければ、その人はこの世にあって、肉の欲にしたがっていきるか、あるいは、御霊ではなく、自分の行ないによって救いを達成させようとするでしょう。愛と信仰と忍耐において健全であるためには、主イエス・キリストの現われの栄光を待ち望むことが必要不可欠なのです。
(お祈り)
全能の父なる神様 、今日一日の歩みを始める前に、 御言葉を聞いて祈ることはできますことを心から感謝いたします。 今日、私と出会う人 、私の しなければならない仕事について、私は何も知ることはできませんが
、自分の予定や 計画通り ことが運ぶ日は一日とてもありません。ですから 今日も思い煩うことなく、与えられた御言葉に従って、考え語り 行動することができますように。
あなたに贖われた者にふさわしく生きることによって、 私が出会う すべての人にあなたの救いの恵みの福音を伝え 、同じ 救いの望みによって共に生きることを勧める
務めを果たさせてください 。主キリストのお名前によってお祈りします。アーメン
4月25日土曜日
マルコによる福音書 13:9-10 新共同訳
あなたがたは自分のことに気をつけていなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で打ちたたかれる。また、わたしのために総督や王の前に立たされて、証しをすることになる。 しかし、まず、福音があらゆる民に宣べ伝えられねばならない。
(黙想)
イエスは、不思議なことですが、迫害を受けることによって、福音はあらゆる民族に伝わる、と言われています。その最高の模範がイエスご自身ですが、十字架につけられたことによって、世界中にいる人々の心を変えてしまいました。また、使徒行伝も、ステパノが殉教してから、異邦人に福音が宣べ伝えられるきっかけになります。パウロは、迫害を受けることによって、他の町に逃げて、福音を伝えることができました。今日も同じです。迫害があることによって、主の福音は広まっています。
(お祈り)
天地の造り主なる 父なる神様、私たちが教会に通っていることを、ためらわず 公に言い表すことができるように助け 導いてください。私たちの社会では、クリスチャンは少数です。
それゆえ、いじられたり、非難されたり、試されたりすることが往々にして 起きています。 神様、どうか、神を信じるがゆえに、受ける 苦しみを避けることなく、 耐えることができるようにしてください 。そして、私たちを通して主の福音
が 少しでも広く伝えられることができるようにしてください 。主イエス・キリストのお名前によって お祈りいたします 。アーメン
4月24日金曜日
ルカによる福音書 9:62 新共同訳
イエスはその人に、「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」と言われた。
(黙想)
一度、イエスに従ってから、振り返って後戻りしてはいけません、と言うことです。イエスを最優先にするだけでなく、持続させなければいけないことがここに書かれています。
これだけ読むと、キリストの弟子になることがとても大変なこと気づきます。けれども、大切なのは、イエスがそのような差し迫った状況の中にいることなのです。御顔をエルサレムに向けたのは、ご自分が見捨てられ、死に渡されるのを、何があっても逃げないで直面するという決断です。大事なのは、そのキリストが私たちとともにいるということです。私たちが、毎日の生活の中で、疲れて、クリスチャンとしての歩みをやめたい、やめなくても、ちょっと後戻りしてみたいと感じるときがあるかもしれません。けれども、そのとき、イエスはあなたを見捨てておられず、「前を向きなさい。わたしがあなたとともにいる。進みなさい。」とおっしゃいます。
人々から拒まれ、弟子たちも従うのをやめてしまった、あの辛さをみな知っておられます。その方が、私たちとともにいてくださるのです。キリストの弟子であることは、確かに大変です。けれども、イエスがともにおられるから大丈夫なのです。
(お祈り)
天の父なる神様 、何か難しいことが起こった時も、あなたに信頼する良い機会として受け止められるように助け 導いてください。どうか、私に与えられた日々を、歩み通すために適切な道を教えてください。また、私の手を握って、ずっと離れずにいてください 。自分の思いや 言葉が感謝と信頼に豊かに彩られることができるように私を守ってください 。偉大な 救い主の名前によって お祈りします 。アーメン
4月23日木曜日
エフェソの信徒への手紙 3:14-15 新共同訳
こういうわけで、わたしは御父の前にひざまずいて祈ります。 御父から、天と地にあるすべての家族がその名を与えられています。
(黙想)
パウロは祈りを始めますが、そのときに、「ひざをかがめて」います。これは神に対する畏敬を表すものです。そして、祈っている相手を、「父」と呼んでいます。単に神を知るだけではなく、神のご計画を知るだけではなく、私たちを愛してやまない人格を持った父として、私たちに接してくださることを願って祈っています。そして、この父を、「天上と地上で家族と呼ばれるすべてのものの名の元である」と言っていますが、これは教会のことを指しているのでしょう。神の家族である教会は、地上にあるだけではなく、天上にも存在します。覚えていますか、黙示録4章には、24人の長老が冠を投げ出して、神の御座の前にひれ伏して礼拝していましたが、天にも教会があるのです。パウロは、地上と天上の神の家族すべてを意識して、その元である父の前に祈っています。
(お祈り)
めぐみ 深い 天の神様、 あなたの恵みの中にあって安らかな眠りに陥ることなく、あなたの恵みにまだ預からない人たちにキリストの無尽蔵の富をもたらすものとしてください。神様、私には
知恵も力もなく、ともすれば恐れとおののきを感じるばかりです。どうか、あなたの恵みをひたすらに 注目して、 知恵の限り、力の限り 、み名を伝える者にしてください
。キリストのみ名によって 祈ります。ア ーメン
4月22日水曜日
テモテへの手紙二 3:16-17 新共同訳
聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。 こうして、神に仕える人は、どのような善い業をも行うことができるように、十分に整えられるのです。
(黙想)
そして、聖書は神のことばであるので、有益なことが4つあります。一つは「教え」です。これは、神の正しさを教え、何が正しいのかを教えるものです。そして、「戒め」があります。私たちは、聖書に耳を傾けると、神の正しさを知るようになり、そこで自分が神の基準を満たしていないことを知ります。神が正しく、自分が正しくないのです。どの部分が正しくないのかが示されますが、それが「戒め」です。そして、「誤りを正す(矯正)」があります。聖書を学んでいる中で、自分の欠けたところ、足りないところを知ったら、その自分のあり方を、神のあり方に変えます。方向転換です。そして最後に、「義の訓練」です。これは、いかに、神の正しさの中に生きていくべきか、いかにその基準の中に自分を保っていくかについてです。ですから、聖書は、その性質から、対決型で書かれています。自分の今のあり方を捨てて、神のあり方を受け入れていくことが、聖書が書かれた目的です。
(お祈り)
めぐみ 深い 天の父なる神様、私があなたの変わらぬ愛に信頼して、私の目には見えない 恵みをあなたに感謝することができるように導いてください。
あなたの知恵と知識は私の言葉では言い表せないほど深く 豊かです。この世界が不安定に感じられ 、あなたのなされことを理解することができないとしても、あなたが
常に私と共にいてくださり 、私の右の手をしっかりと掴んでくださってること 、そして 後には私を 栄光のうちに受け入れてくださることを心に刻み込んで歩むことができるようにしてください。また、あなたの御言葉によって私をあなたの働きのために整えてお用いください。聖なる主のお名前によって
お祈りします。 アーメン
4月21日火曜日
ユダの手紙 1:25 新共同訳
わたしたちの救い主である唯一の神に、わたしたちの主イエス・キリストを通して、栄光、威厳、力、権威が永遠の昔から、今も、永遠にいつまでもありますように、アーメン。
(黙想)
最後に、頌栄の言葉で締めくくられています。この言葉は、祈りであると共に、神の憐れみへの確信でもあるのです。私たちは主が、守ってくださるからといって、その恵みを放縦にかえたら、それは非常に危険です。ですから、責められるところのない者になるようにという祈りも必要なのです。主の真実を信じて、守られることに安心してください。同時に、祈ってください。このどちらもがあって私たちは、恵みによって成長するのです。
(お祈り)
天の神様、どうか私を強く 雄々しくして、何が起ころうとあなたが私と共にいてくださることに委ねて歩めるように助けてください 。もし自分自身と自分の問題ばかり集中していたら、私の勇気は尽きてをしまいます
。でも、 もし 信仰の目を通して 道の先におられる あなたを見ていたら 、私は強められ力を得られます。どうか、何一つうまくいかないように見える時でさえ
、私があなたへの信頼を通して 落胆と戦うことはできるように、あなたにはどんなこともできると、祈りが聞かれるのを待つことはできるように助け 導いてください。
尊い主イエスの名前によって お祈りします。 アーメン
4月20日月曜日
ヨハネの手紙一 1:9-10 新共同訳
自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。 罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とすることであり、神の言葉はわたしたちの内にありません。
(黙想)
神様の前にいつも正しく いようとすると辛くなるのは、自分の中に正しさを 自力で持とうとするからです。 神様はそんなことを求めていません。 ありのままのあなたで来て欲しいと言っています。
あなたの汚れを清くするのは神様です。 神様はあなたを決して見放さないのです。
(お祈り)
主なる 神様 、私たちは罪の中に生まれ 、どのように努力しても罪を犯さざるを得ないものです。 それにもかかわらず 、イエス・キリストの十字架を仰ぐことをおろそかにして、罪に罪を重ねる者であることを深く
懺悔いたします 。私たちは主の憐れみ なくしては 誰一人、主の前に胸を張って出ることが許されないものです。私たちの罪を救うためにイエス・キリストを
この世のにお送りくださることを感謝いたします 。イエス・キリストにあっては全ての罪が許されることを確信いたします。主よ、 私たちを憐れみください。
救い主 キリストのみ名によって 祈ります 。アーメン
4月19日日曜日
ペトロの手紙一 2:25 新共同訳
あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は、魂の牧者であり、監督者である方のところへ戻って来たのです。
(黙想)
キリストの十字架によって、どのように生きてゆけばよいかわからない、さまよった状態のときに、自分のたましいを牧し、また監督する神のもとに帰ることができます。
そして、私たちが、この地上の人ではなく、神の民であり、選ばれた種族であることも分かります。神のみことばを慕い求めて、主のもとに来ることによって、私たちは苦しみを受けても、神の前では高価で、尊い存在であることがわかります。だから、苦しみを受けても、喜ん
で苦しみを受けることができます。
(お祈り)
天の父なる神様、 イエス・キリストは私たちが飼う者のいない羊のようである有様を深く 憐れみ、 救いの道を差し伸べてくださいましたことを感謝いたします。キリストは、1匹の迷える羊を見捨てたもうことなく、探し求め、命を保ってくださるお方とも語られています
。どうか、私たちが 魂の牧者のもとに立ち返り、 その十字架の血しおよって癒され、豊かな主の恵みに預かることができますように導いてください。アーメン
4月18日土曜日
ヘブライ人への手紙 12:28 新共同訳
このように、わたしたちは揺り動かされることのない御国を受けているのですから、感謝しよう。感謝の念をもって、畏れ敬いながら、神に喜ばれるように仕えていこう。
(黙想)
ここに書かれている、「感謝しようではありませんか」の元々の意味は、「恵みを持とうではありませんか」となっています。私たちに、この天地が崩されてもなおのこと残る御国が与えられています。もっぱら神の恵みによるのです。この恵みに触れる時に、私たちはむしろ敬虔と恐れ、すなわち主を恐れ敬います。そして、「神に喜ばれる礼拝をささげようではありませんか」と言っています。私たちの礼拝が、この恵みに触れた、神への感謝と、恐れ敬いによる礼拝でありますように。そして、その恵みに裏打ちされた礼拝を、神は喜んで受け入れてくださいます。
(お祈り)
父なる神様、 一夜の安らかな眠りを与えられ、 清々しい朝を迎えることはできますことを心から感謝いたします。あなたに与えられた 全てのことが計画した通りには実現しませんでしたが
、それもみ心のうちであったと受け止めています。どうか、今日一日も新たな 勤めに向かって力を尽くして生きる 勇気と希望をお与えください。 自分の力によってことを成し遂げようとする
誘惑 と、自分の弱さに対する絶望とに 打ち勝たせてください。私たちの贖い主のみ名によって お祈りします。ア ーメン
4月17日金曜日
ペトロの手紙一 1:3-4 新共同訳
わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、
また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。
(黙想)
父なる神は、私たちを新しく生まれさせてくださいました。罪によって死んでいた私たちを、キリストとともによみがえらせてくださいました。そして、これが「豊かな憐れみにより」行なわれました。私たちには、救われるべき理由が何一つありません。罪と肉にあって死んでいた者であり、神に敵対し、神の怒りを受けるのにふさわしい者たちでした。けれども、神は大きく、私たちをあわれんでくださって、お救いになってくださったのです。
(お祈り)
私たちの イエス・キリストの父なる神様、その豊かな 憐れみにより 、イエス・キリストを死人の中よりよみがえらせ、 私たちを新たに生まれさせていける望みを抱かせてくださいました。神さま、
あなたの選びによって信仰を与えられ、十字架の血によって贖われ、み霊 のきよめにあずかり、 キリストに従う者となった私たち 、それぞれの
遣わされたところにおいて、 ただ ご栄光のためにのみ 日々の業をささげるものにしてください。ア ーメン
4月16日木曜日
ルカによる福音書 6:35 新共同訳
あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。
(黙想)
イエスは、弟子たちに、神の愛をもって愛しなさいと呼びかけられておられます。この「敵を愛しなさい」というのは、神の行ないであって、私たち人間には決してできるものではありません。
手のなえた人が手をのばすのに、イエスの呼びかけが必要であったように、私たちが敵を愛するには、イエスの呼びかけが必要なのです。自分には決してできませんが、主よ、おことばどおりにお従いします、と信仰の一歩を踏み出します。そうすれば、主が奇跡的に、私たちのうちに働いてくださり、敵を愛するようにしてくださいます。
(お祈り)
父なる神様、私がどのくらい きちんとやってるかに関わりなく 、私を愛してくださってありがとうございます 。時々不安に思ってしまうことがあるのです。
自分はあなたの愛にふさわしいようなことを行っているのだろうかと 。けれども私の行動がどれほど 称賛に値するものであっても、その問いに対する答えは
常に違うのです。 あなたは私の行いと、 ご自分の愛とは全く 論点が違うことを教えてくださってきたからです 。あなたはとこしえの愛を持って 私を愛してくださいました
。その愛は何の制限も条件もなしに、 永遠から溢れ出ています。どうか、あなたの変わらぬ愛を 持って、隣人を、また、敵に対して、私が何をするにしても、いつもあなたの愛を示すように助け
導いてください 。あなたの尊い お名前によって お祈りします 。アーメン
4月15日水曜日
ヨハネによる福音書 1:18 新共同訳
いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。
(黙想)
イエスの言葉の中に、神がさやかに語っておられる 声を聞くことができます 。そして イエスの業を見ると、神 ご自身が働いておられるのに気づきます
。イエスは私たちが神について 、あれこれ 描く 勝手な想像を取り除き、 神に従って歩めるようにしてくださるのです。
(お祈り)
全能なる神様、あなたのなさることは 私たちの想像を超えています。 それにもかかわらず 、私が理解できる言葉で語ってくださり、私も応じられる
まっすぐな行動を示してくださったことを感謝します。神様、あなたの御子イエスが働いてくださるのを、 私がいつも注意して、 心の目を開いて受け止めることはできるように助け
導いてください 。たとえ、どんなに かすかなことであっても、あなたの導きに気づけるようにしてください。 信頼する主イエスのお名前によって お祈りします。
アーメン
4月14日火曜日
ヨハネの手紙一 1:9-10 新共同訳
] 自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。 罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とすることであり、神の言葉はわたしたちの内にありません。
(黙想)
罪がないと言えばそれは偽りですが、罪を言い表せば、それは真実なことです。「言い表す」あるいは「告白」するという言葉は、しばしば誤って用いられています。この意味は、ただ口に出すということではなく、神が自分を見ておられるとおりに、自分を見るという意味です。神が、嘘を憎んでおられるのなら、自分も嘘を憎みます。「罪を言い表したら、それで赦されるんだろう。」という安易なものではありません。「これは罪です。だからこれからも、これをあなたが見ておられるように、自分も憎みます。」という立場の表明をします
.
(お祈り)
天の父なる神様、私たちを憐れみください。私たちは罪の中に生まれ 、どのように努力しても罪を犯さざるを得ないものです。 それにもかかわらず、 イエス・キリストの十字架を仰ぐことをおろそかにして、私たちの知恵や力によって
罪から解放されるもの と思い込み、愚かさに愚かさを加え、 罪に罪を重ねるものであることを深く 懺悔いたします。神様、私たちを憐れみ、 私たちの罪を救うためにイエスキリストを
この世にお送りくださったことを感謝いたします。 イエス・キリストにあっては全ての罪が赦されるを確信いたします。 私たちを、どうか 、憐れんでください
。救い主 キリストのみ名によって 祈ります。 アーメン
4月13日月曜日
詩編 31:15-16 新共同訳
主よ、わたしはなお、あなたに信頼し 「あなたこそわたしの神」と申します。 わたしにふさわしいときに、御手をもって 追い迫る者、敵の手から助け出してください。
(黙想)
激しい嘆きを言い表した後で、ダビデは言っています。彼の告白は単純ですが、「あなたこそわたしの神です」というものです。他の者たちを恐れている時は、神を神としていません。他の者たちを神としてしまい、恐れているのです。それをやめて、主のみを神とします。
そして興味深い表現は、「わたしにふさわしい時に」という言葉です。私が通っていく出来事には、すべて神の定められた時があります。その時が来なければ、自分がいくらもがこうと何も生まれてきません。むしろ、主がちょうどよい時に助け出してくださることを信じ、主にゆだねているのです。
(お祈り
天の神さま、物事が自分の思うように運ばない時、 その状況を受け入れられるように助け 導いてください。 私に必要なのは自分の置かれている あらゆる状況を、
あなたが治めておられることを思い起こし 、あなたの力強い御手のもとに へりくだり 、一切の思い煩いをあなたにお任せする ことです 。どうか、あなたが私の人生に行ってくださっていることを喜ぶことができるように、
たとえそれが私の理解を超えたものであっても受け入れることができるように助け 導いてください。愛する主のお名前によって お祈りします。 アーメン
4月12日日曜日
ヨハネによる福音書 20:27-28 新共同訳
それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。
(黙想)
イエスは限りなく優しく 、しかし、 また真の厳しさを持ってトマスを諭しておられます。 トマス の 抱いた疑問はイエスに受け止められ、また 納得できるように解決もされたのですが
、それがトマスの長所とされたわけではありません。 未成熟な部分はある程度は欠かせないものではあるのですが 、称賛に値するものではないのです 。あなたはトマスのように、キリストのみ業とみ言葉を、確かめないと信じられないと思ってはいませんか?
(お祈り)
天の父なる神様 、まだ見てない 前から 信じる アブラハムのような信仰へと 私を導いてください 。あなたの 示された 確かな約束から照らされてくる光と、イエスという強力な方のお名前のもとで歩む
、不確かな小道を私が旅する時、どうか、 私と共に居てください。 復活の主のお名前によって 祈ります。 アーメン
4月11日土曜日
詩編 37:39-40 新共同訳
主に従う人の救いは主のもとから来る 災いがふりかかるとき 砦となってくださる方のもとから。 主は彼を助け、逃れさせてくださる
主に逆らう者から逃れさせてくださる。 主を避けどころとする人を、主は救ってくださる。
(黙想)
悪に対して私たちはどう対処していけばよいのでしょうか。一つは、戦いの祈りをすること、敵から救われることを祈ることです。霊の戦いがあることをしっかりと認識することです。二つ目は、神の恵みとそのすばらしさを見ること、そして神のいのちを楽しむことです。そして三つ目は、悪に目を向けず、主にゆだねることです。
(お祈り)
天の父なる神様、聖書はあなたに信頼する人には 祝福がある。 あなたがその人のよりどころとなられることも教えています。 どうか、私が自分の人生のあらゆる局面に至るまで
、あなたに 信頼できるように導いてください 。あなたの国には 無計画のいい加減なことなど何一つないことはありません
。 私は何もかも 理解しようとするのでなく、あなたに信頼し 感謝することに集中できるようにしてください 。私の失敗や罪でさえも あなたの恵みによって良いものに変えられるということを
信じて歩ませてください 。輝かしい主イエスの名前によって お祈りします。ア ーメン
4月10日木曜日
創世記 28:15 新共同訳
「見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」
(黙想)
これは、神が最終的な約束だけでなく、その約束の実現を見るまでの間、守ってくださるという約束です。「共にいる」というのは、イエス様が弟子たちにあらゆる国民を弟子としなさいと命じられた時にも与えられた約束でした。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。(マタイ28:20)」
主から与えられた使命を果たす時は、主がその使者に対してご臨在の約束を与えてくださるのです。主が行なわれることを行う時、必ず自分の力ではない、主ご自身の働きを見ることができます。
そして、「どこへ行っても、あなたを守り」とあります。ヤコブがこれからいろいろな危険に遭います。それらの悪から必ずヤコブを守る、という約束です。神は、神のことを行なう私たちにも同じように守りを与えてくださいます。そして「決して見捨てない」という約束です。私たちは神が遠くに感じるという信仰の試練が出てくるでしょう。けれども、実はそのような試練の時に主が自分を支えていてくださるのです。
(お祈り)
天の父なる神さま、み言葉が私たちを勇気づけてくださることを感謝します 。み言葉を学べば学ぶほど、あなたの恵みを確信できることも分かってきました
。あなたが 常に私を見守り、 私の人生のあらゆる面に携わってくださいお方であることを本当に感謝いたします。 時には、あなたの恵みが思いもよらない形でー苦痛や困難を通して
、私にもたらされることがあり、感謝します。どうか、これからも 心を開いて あなたの 見守りのもとに安らかな歩みを続けていくことができるように、お導きください。あなたのお名前によって
お祈りします。アーメン
4月9日木曜日
マタイによる福音書 6:7-8 新共同訳
また、あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。 彼らのまねをしてはならない。あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。
(黙想)
私たちの祈りの対象は、父という人格のあるお方です。私たちは、人に対して話す時は、知性や感情を持って話します。同じように、神に対しても、知性と感情を持って祈らなければなりません。また、イエスは、父が私たちの必要を、私たちが願う前にすでに知っておられる、と話されています。ここに、祈りについての根本的な教えがあります。祈りは単に、私たちの願いが実現されるための手段ではありません。神はもうすでに、私たちの必要はご存じなのです。それでは一体なんのために祈るのでしょうか。それは、私たちのお願いではなくて、神のみこころが実現することを祈るためなのです。
(お祈り)
天の父なる神様、私たちが 祈る前に、あなたが私たちの 求めのすべてを知っていてくださり、私たちと一緒に戦っていてくださることを感謝いたします。
神様、どうか、何一つ隠す必要ない祈り 、くどくどと言葉を重ねなくとも 、ただこのままの自分を貧しい言葉でぶつけていく 祈り を行わせてください。また、私たちの祈りがわがままな祈りに終わらず、
あなたの御言葉を深く聞くことによって導かれる祈りとなりますように 、主の尊い お名前によって お祈りします。ア ーメン
4月8日水曜日
ヨハネによる福音書 20:19-20 新共同訳
その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。
そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。
(黙想)
弟子たちは、ユダヤ人たちからの迫害をおそれて戸をしめていました。けれども、イエスが真ん中に現われて、「平安があるように。」と言われています。イエスはよみがえられたとき、私たちが持っている肉体とは異なるからだをお持ちになりました。復活のからだです。これは、物理的な壁も通り抜けることができる体です。しかも、同時に、いろいろな場所で現われることができるからだであります。弟子たちは、イエスとの新しい関係に入っただけではなく、新しい臨在を手に入れることができました。これまで、物理的にイエスがおられなかったら臨在がなかったのですが、これからはどこにいても、そこにイエスはおられ、目で見えなくても、いっしょ
にいてくださるのです。そして、いっしょにいてくださることによって出て来る祝福は平安です。彼らが恐れているように、これからユダヤ人に迫害されます。実にヨハネ以外の使徒は、殉教で死にました。けれども、そのような過酷な状況にいても、イエスがともにいてくださるので平安なのです。私たちも同じです。どのような過酷な状況にいても、イエスがともにいてくださる、私たちの真ん中にいてくださることを知るとき、平安であります。
(お祈り )
天の父なる神様、私たちの人生には、他の人はどう思ってるか、どう行動するかと 、ビクビクしてしまうことがあります。そんな私たちのところに来てくださるのが復活されたイエスさま。どうか、私たちのかたわらにその主イエスさまが立ち、その安らぎの中に、私たちが過ごせるように
、私たちの 恐れを解き放ってください 。アーメン
4月7日火曜日
マタイによる福音書 25:32-34 新共同訳
そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、 羊を右に、山羊を左に置く。 そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。
(黙想)
さばきの厳粛な宣告は突然 一方的になされるわけではなく、 日々の生活の営みによって自然に決まってくるものなのです。 日々実践される 愛と憐れみの中に、神の国へと
招かれるためのあらゆる種がまかれているのです。
(お祈り)
主なるイエス様 、この譬ええ話を示してくださったことを感謝します。 全てのことをご覧になってることがわかったからです。 自分のしていることが無意味である
などと決して思わないようにします。 私が出会う 一人一人の中にあなたを探し求め 、その人々を通して あなたに仕えていくことができるようにお導きください。ア
ーメン
4月6日月曜日
ローマの信徒への手紙 8:38-39 新共同訳
わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、 高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。
(黙想)
パウロは、私たちを神の愛から引き離すかもしれないと考えられる被造物を、考えられる限り列挙していますが、それらは、みな私たちを神からも引き離すことができていません。それは、神の愛が、私たちの主キリスト・イエスのうちにあるからです。パウロは、「イエス・キリストにある者が罪に定められることは決してありません。」という言葉で8章を始めました。そして、「キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」と言って終わっています。このように、私たちに与えられた神の救いは完全であり、十分であり、確実なのです。
(祈り)
愛する主イエス・キリストよ、あなたが私と世界の人類のために死んでくださった 愛のみわざに対して、どのように多くの言葉を持ってしても感謝と賛美を十分に言い尽くすことはできません
。あなたの愛の高さ、 深さ 、広さ、 長さを理解することはできませんが、 あなたが私のすべてをよくご存じであるように 私もあなたの全てを知りたいと
、せつに願っています。けれども やがて あなたが 再びおいでになる日に 、私は今よりもさらに深くあなたの愛を知り、 救われた者としての感謝に加えて、ほふられた小羊こそは、力と、富と、知恵と、勢いと、ほまれと、栄光と、賛美を受けるにふさわしいと、喜び
歌うことができるように、キリストにある神の愛を確信させてください。よみがえりの主のみ名によって祈ります。アーメン
4月5日イースター
マタイによる福音書 28:5-7 新共同訳
天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、 あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。
それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』」
(お祈り)
主イエスよ、あなたは私たちの罪のために渡され 私たちが 義とされるために よみがえられました 。それによって私たちに永遠の義が与えられました。
天の父はあなたを死からよみがえらせることによって、惨めな罪人に永遠の義を与えることを示されました 。またあなたをよみがえらせたことによって 、十字架の上で全てが終わったとあなたが叫ばれた言葉を確実なものとしてくださいました
。
主イエスよ、 この復活を記念する祝日を キリスト者として心から祝うことはできますように 。 体は墓の中で 朽ちても、輝かしい よみがえりを許されるものであることを明らかにしてくださるよう祈ります。
主イエスよ、どうかこの望みを私に 常に保たせてください。よみがえりの輝かしい 勝利の君である あなたを、 十字架の旗のもとで、永遠にたたえ、
感謝の声をあげさせてください。 アーメン
4月4日土曜日
ヨハネによる福音書 19:40-42 新共同訳
彼らはイエスの遺体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んだ。 イエスが十字架につけられた所には園があり、そこには、だれもまだ葬られたことのない新しい墓があった。
その日はユダヤ人の準備の日であり、この墓が近かったので、そこにイエスを納めた。
(お祈り)
救い主イエス・キリストよ 、今日はあなたが墓に葬られた記念の日です 。私たちは自分の入るべき 墓を見つめる時、 その冷たさ 、その暗さのゆえに、
この世を離れる死を 思い、 恐れおののくものです。 しかし、主 イエス・キリストよ、すべて、あなたを信じる者にはあなたの命が与えられており 、死の針は
取り去られており 、あなたが葬られたことにより 私たちの墓も きよめられ、 恐れが除かれかれていることを悟らせてください。 主イエスよ 、あなたが私の先に立ってくださるので全ては益となります
。生きるにも死ぬにも、全てはあなたのものです。 主イエスよ、どうか私をお救いください 。まことなる神よ 、あなたのみ手に、私の霊、 魂、 からだ、生命
と死、 私の葬りと墓とを委ねます 。アーメン
4月3日金曜日
ヨハネによる福音書 19:28-30 新共同訳
この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した。 そこには、酸いぶどう酒を満たした器が置いてあった。人々は、このぶどう酒をいっぱい含ませた海綿をヒソプに付け、イエスの口もとに差し出した。
イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。
(黙想)
「成し遂げられた」という言葉はここで2度使われていますが、2つの意味を持っています。 1つは 十字架上での苦痛の時は「終わり」、死 が到来したことです
。また それは贖いの業が成し遂げられて、「完成した」という意味でもあり 、永遠の命の始まり でもあるのです 。
(お祈り)
神様 、十字架上の イエスにおいて完全に成し遂げられたことを 、私にも成し遂げてください 。あなたが始められたことを 、イエスのために、 イエスの恵みによって仕上げ、
完成させてください 。救い主 キリストのお名前によって お祈りします。 アーメン
4月2日木曜日
ヨハネによる福音書 13:12-14 新共同訳
さて、イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、上着を着て、再び席に着いて言われた。「わたしがあなたがたにしたことが分かるか。
あなたがたは、わたしを『先生』とか『主』とか呼ぶ。そのように言うのは正しい。わたしはそうである。 ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。
(黙想)
これはイエスの洗足の業を示した箇所の一部です 。イエスの洗足の業を前にして、ユダも自分の足を差し出しましたが、心を差し出しはしませんでした。
ユダの足を濡らした水が、皮膚よりもっと内部へと 浸透していくことは決してなかったのです。 キリストによる清め は心を差し出すことを求めるのです。
さて 、イエスの命とは 神の隠された部分を明らかにし、 私たちを神と和解させるというかけがえのない命であるだけではなく 、私たち 誰もが習うことのできる、真実で
正しい生き方の見本でもあるのです。 私たちはどのようにして人に仕えようと思っているのでしょうか、考えてみましょう。
(お祈り)
天の神様 、御子イエスのなされた業は全く 明確そのものですし 、その語り方も明快そのものです 。それなのに、そのお手本通りに従っていくことが、なぜ難しいのでしょうか。
自尊心が邪魔をしているのです。どうか、自意識 から解き放たれ 、他者への思い と業とを 注ぎ出せるように私を整えてください。救い主キリストのお名前によって祈ります。アーメン
4月1日水曜日
ヨハネによる福音書 12:47 新共同訳
わたしの言葉を聞いて、それを守らない者がいても、わたしはその者を裁かない。わたしは、世を裁くためではなく、世を救うために来たからである。
(黙想)
群衆の無関心な態度や恐れを突き破り 説得するために イエスは最後に強烈な言葉を語られました 神のみ旨を伝え 人々を救いに導き 永遠の命に至らせるという選挙活動
イエスは ひたすら 熱い思いを持ってなされたのです。
(お祈り)
天の父なる神様、私を救ってください。 私の罪を 洗い出し 、赦しの場に、私を伴ってください 。私の弱り果てた 信仰を愛によって 癒し
、あなたへの反抗的な思いを吐き出させ、キリストの 弟子としてふさわしくなれるように、厳しく 訓練してください 。救い主キリストのお名前によって
お願いします。ア ーメン
3月31日火曜日
ヨハネによる福音書 12:3-5 新共同訳
そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。
[4] 弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った。 [5] 「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」
(黙想)
ここには マリアの 惜しみない 心からの贈り物とユダのお金を出し惜しむ愚痴とが 退避されて描かれています マリアはイエスを讃えるのに必要なものを用いましたが
ユダは自分をよく見せるためにイエスを利用したのです 私たちはマリアから人に使える という美しい生き方を知りますが ユダを見るとお金が神と人間と隔ててしまう危険性があることを知るのです
(お祈り)
天の神さま、私は主イエスさまに捧げるべきものを捧げます。 それは単にお金ではなく、私の命そのもの、つまり私の行動・能力・ 目的をも含んでいるのです
。そのように、あらゆるものがあなたに仕えるものとして 、良い香りを放たさせてください。主のお名前によって お祈りいたします。アーメン
今日の聖句2026年3月
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