今日の聖句  2026年5月    nagarenohotori      

      聖句は基本的には新共同訳聖書を使用しています



5月17日日曜日
ヨハネによる福音書 11:43-44 新共同訳
 こう言ってから、(イエスは)「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた。 すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た。顔は覆いで包まれていた。イエスは人々に、「ほどいてやって、行かせなさい」と言われた。
(黙想)
 イエスは、「わたしを信じる者は、死んでも生きます。」と言われましたが、そのことばが真実である事を、今、みなの前で証明されようとしているからです。もし、出て来なかったら、イエスのことばを信じることはできません。しかし、出て来たら、信じるに値するのです。 すると、死んでいた人が、手と足を長い布で巻かれたままで出て来た。彼の顔は布切れで包まれていた。イエスは彼らに言われた。「ほどいてやって、帰らせなさい。」 ラザロは生き返りました。イエスが言われたことは真実でした。イエスが与えられる約束は必ず実現するような約束です。単に望みを置かせるような、むなしい希望ではありません。生ける希望です。事実に裏付けされた希望です。神がご自分のことばを確かに実現させてくださることを知るのであれば、私たちは本当の意味で生き生きと毎日を過ごす事ができるのです。
(お祈り)
天の神様 、私たちにはどんな状況にも左右されない喜びがあります 。それはあなたが与えてくださった 永遠の命があるからです 。よみがえりの 救い主である イエス への信仰を通して、 私はさらに栄光をも与えられています。どうか、今朝、あなたの元に来て 、心を開き、両手を広げて、新たな喜びと 十分な恵みを受けることはできるように導いてください 。恵みあふれる主イエスのお名前によって お祈りします 。アーメン

5月16日土曜日
ペトロの手紙一 5:5 新共同訳
同じように、若い人たち、長老に従いなさい。皆互いに謙遜を身に着けなさい。なぜなら、 「神は、高慢な者を敵とし、 謙遜な者には恵みをお与えになる」 からです。
(黙想)
若い人たちが長老に従うように、という勧めです。今見てきたように、長老は人を支配するのではなく、模範を示していく人であり、へりくだった人です。その時に、力がないように見えるその人に対して、批判をしたり、たてついてみたりする誘惑があるでしょう。そのようなことを控えて、長老の言うことに従うことを学ばなければいけません。こうして、教会の秩序の中に、謙遜の御霊が広がっていなければいけません。
(お祈り)
 キリストにある永遠の栄光に招き入れてくださったあふるる 恵みの神様、 私たちの苦しみの時 、癒しを与え、 強め 、力づけ、 私たちを 不動の者としてください 。固くたって、
動かされず、主のみ業に励む者にしてください 。教会が、今の時、老いも若きも、 互いに謙遜を持って 助け合いつつ 、主に仕えていくことができるようにしてください。尊い主のお名前によってお祈りします。アーメン

5月15日金曜日
ペトロの手紙二 1:5-7 新共同訳
 だから、あなたがたは、力を尽くして信仰には徳を、徳には知識を、 知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には信心を、 信心には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。
(黙想) 
 ここに書かれていることは、一言でいえば、「成長する」ということです。ペテロは、「力を尽くして」と言っています。これは「勤勉になって」とも言うことができます。私たちの霊的歩みが、一定のところにとどまるのではなく、一歩一歩前進していかなければいけない、ということです。
(お祈り)
天の神様 、あなたのかわらぬ愛で私を満たしてください 。そのために、私があなとにいつも近づくことができるようにさせてください。あなたの 尽くせ の愛は、この日何があっても、あなたと一緒なら対処できること思い起こさせてくれるからです。 どうか、あなたのもとで 与えられた信仰を成長させることができるように助け 導いてください。主イエスのお名前によって お祈りします。アーメン

5月14日木曜日
マタイによる福音書 5:3 新共同訳
「心の貧しい人々は、幸いである、 天の国はその人たちのものである。」
(黙想)
キリストは 霊の貧しい者として 、父なる神に霊の満たしをこい求めました 。徹底的に 霊の貧しい者として、生き抜かれた。 そこに神の支配、神の国が現れたのです。 キリストは言われます 。自分の心の欠け(満たされぬ心)を知り、それを満たしてくださいと 祈り求める時 、そこに 神の国がやってくるのです。
(お祈り)
天の神様、 色々なことがうまくいかないように思えて、自分の人生は どんどん 手に負えなくなっていくように感じる時 、あなたに信頼しあなたに感謝することができるように助け 導いてください。ちょっとした不平不満を口から溢れ出す時 、その一つ一つが私をさらに苦しさせていきます。 それでも あなたに向かって叫ぶなら、あなたへの信頼を取り戻すことができます。 どうかあらゆる 理解を超えた あなたの平安が、私の心と思いとを守ってくれますように 、あなたの御子イエスのお名前によって お祈りします。アーメン

5月13日水曜日
詩編 66:20 新共同訳
 神をたたえよ。 神はわたしの祈りを退けることなく 慈しみを拒まれませんでした。
(黙想)
おそらくこの詩編の作者は、大きな試練の中で練り清められ、その中で主に対して罪を言い表したのでしょう。そこで、神が恵みによってその祈りを聞いてくださり、そして今のように回復してくださったのです。恵みによって祈りを聞いてくださいました。そして、今、その心は清められています。
(お祈り)
天の神さま、色々な計画や問題に心を閉められている時 、私に必要なのは、御子イエスに向かい 、その名前をささやくことです。御子 のもとでやすらぎ、御子の変わらぬ愛を 喜ぶ時 、御子イエスの光が 私を照らしてくれるからです。 私を常に見まもり、 ずっと愛してくださっていることを感謝いたします。主イエス様、どうか、あなたの御前にいる私を喜びで満たしてください。主の尊い お名前によって お祈りします 。アーメン

5月12日火曜日
ヤコブの手紙 5:6, 15-16 新共同訳
信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。その人が罪を犯したのであれば、主が赦してくださいます。 だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします。

(黙想)
 病気と罪とは関わりがあるときがあります。なんらかの罪を犯しているために、それが肉体的な病となって現われるときがあります。また、精神的に起こっていることが、今度は生理的な影響となって現われ、肉体を患うこともあります。ですから、病と罪は関係があるときがあります。 けれども、もちろんすべての病が罪に由来するのではありません。イエスさまが、生まれつきの盲人をごらんになられて、彼がそうなっているのは、その人の罪のためでもなく、両親の罪でもなく、神の栄光が現われるためだ、と言われましたが、そのような病もあるのです。またアダムが罪を犯して、土地はのろわれたものとなりましたから、そうした不完全な世において、病気から、だれもまぬかれることはできないと言えます。

(お祈り)
天の神様、あなたはいついかなる時にも人の祈りを聞いてくださるお方です 。けれども、私は自分を顧みて本当にあなたに祈ることが少なく 、自分の小さな思いの中に閉じこもっていることを懺悔します。神様 、どうか、御言葉 従って どのような場合でも、あなたに呼びかけ 、あなたの交わりを心から味わうこともできる者
としてください 。祈りによって、新たな命の力を得て、賛美することを忘れずに生きる者としてください。 アーメン

5月11日月曜日
ヨエル書 3:1 新共同訳
 その後 わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。 あなたたちの息子や娘は預言し 老人は夢を見、若者は幻を見る。
(黙想)
主イエスは 聖霊によって人は新しく生まれると語っています (ヨハネ福音書3章参照)。聖霊が私たちの硬い 思考 の中に、新たな自由な空間を作ってくださるのです 。今まで思いもしなかった 神の業を聖霊が行ってくださることを期待する思考 です 。私たちはこれまでの経験に縛られた思考から自由にされ、聖霊が主導する新しい 思考の世界に踏み出すことができるのです 。聖霊が私たちを新しくしてくださるのです
(お祈り)
天の神さま、私たちは過去の経験にとらわれて、新しい恵みの中に踏み出すことをためらいがちです。そんな私たちに聖霊が臨むとき、私たちの中に、キリストの新しいいのちが働いてくださいます。神さま、どうか、私たちに聖霊を注いでください。そして、キリストの御業を私たちの歩みを通して現してください。アーメン

5月10日母の日
箴言 23:24-25 新共同訳
 神に従う人の父は大いに喜び躍り 知恵ある人の親は、その子によって楽しみを得る。 父が楽しみを得 あなたを生んだ母が喜び躍るようにせよ。
(黙想)
 父と母を敬うことについて、ここには書かれています。つまり自分が独立してしばらくしても、自分を生んだ両親のことを忘れてはいけないということです。テモテ第一の手紙で、教会は本当のやもめを助けなさいとパウロが言っているとき、彼は家族がまず養う義務があることを教えています。「自分の親族、特に家族の世話をしない者がいれば、その者は信仰を捨てたことになり、信者でない人にも劣っています。(1テモテ5:8)」 何をもって親孝行すればよいでしょうか?自分が知恵を持つことです。
(お祈り)
天の神さま、教会におられる様々な人、 お年寄り、若い人 、年配の夫人、 若い女性たち、こどもたちなどに対して、愛と尊敬の心で関わることができるように導いてください。同時に、自分の父や母の存在、家庭で果たしているその役割を(思い返して)感謝し、自分たちの子どもたちに模範となる信仰生活を励む者とならせてください。主の御名によってお祈りいたします。アーメン

5月9日土曜日
ルカによる福音書 5:27-28
 そののち、イエスが出て行かれると、レビという名の取税人が収税所にすわっているのを見て、「わたしに従ってきなさい」と言われた。 すると、彼はいっさいを捨てて立ちあがり、イエスに従ってきた。
(黙想)
 イエスは言われました 「わたしに従ってきなさい」と。イエスの声は私たちの本質を満たします。 この方の声を聞くとき、私たちは自分の尊さを知り 、この方と共に歩む 真実の人生を歩き始めるのです。 誰にも相談せず 、歩き始める 。この方だけが、私たちを本当に知り、私たちの存在の 奥底まで、光を照らしてくださるからです。
(お祈り)
私たちの創り主である 神様、私の名を呼んでください。 私にみ業を見させてください。あなたの愛と憐れみを持って、 私を受け入れてください。私は、あなたの招きに感謝の心を持って、地上での私の働きが終わるまで 従います。主イエスの聖なる御名を通して祈ります 。アーメン


5月8日金曜日
詩篇 3:5
 わたしはふして眠り、また目をさます。主がわたしをささえられるからだ。
(黙想)
この詩篇 の作者は、自分に眠りを与え、 目覚めを与えるのは神だと告白しました。 彼はこの時、命を狙われる逃亡生活の中にありました。 安心して眠れること、 生きて 目を覚ますことができることを神に感謝しているのです。 私たちは、眠ることのできない 心配事や緊張に陥ることがあります。 心身のバランスを崩して眠れなくなることもあります 。そんな時、神が私たちの瞼に御手をおいて、 希望の目覚めを与えてくださるよう求めましょう。
(お祈り)
 天の神様、どうか私たちが自分の不十分さを認め、 受け入れることができるように助けてください。あなたはご自分の限りない 資源を私たちが手にするために、静まることと活動することの 両方を行うように教えてくださいました。 どうか、私たちが 自分には不十分だと感じるたびに、 あなたの元に向かうように思い起こさせてください 。また、あなたが愛と恵みを 持って、私たちに安らぎを備えてくださるよう、主のお名前によってお願いいたします。アーメン

5月7日木曜日
マルコによる福音書 1:35
 朝はやく、夜の明けるよほど前に、イエスは起きて寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。
(黙想)
前日は、激務の日でした。夜遅くまで働かれました。次の日は、ゆっくりと遅くまで寝ていようと、私たちは思います。しかし、イエスは、祈りの時間を過ごしました。祈りにおいて、御父と交わり、そこから力と知恵を得ることができるからです。
(お祈り)
天の神様、 周りの人たちの必要を思うと心がいっぱいになります 。病気や悩みで悲しんでる人たちが 再び立ち上がり 、新しく人生を始めることはできますように 、あなたの優しい 御手を持って 助けてください。 この人たちに あなたの 慰めと 愛を目に見える形で感じさせてください 。私の友人 家族 近所の人 同僚が今日どこにいて 、どのようにあなたを必要としていても、あなたが共にいてくださいますように。どうか、私が人々に、そしてあなたに よりよく仕え、執り成しの祈りに励むことができますように助け 導いてください。ア ーメン

5月6日水曜日
ヘブル人への手紙 5:7
  キリストは、その肉の生活の時には、激しい叫びと涙とをもって、ご自分を死から救う力のあるかたに、祈と願いとをささげ、そして、その深い信仰のゆえに聞きいれられたのである。
(黙想)
 これはイエスさまが、ゲッセマネの園において、もだえ苦しみながら祈られたときのことです。「激しい叫びと涙をもって、・・祈りと願いをささげ」とありますが、十字架につけられる前に、イエスさまは必死に祈られました。ここに、「ご自分を死から救う力のあるかたに向かって」とあり、また、祈りが聞き入れられた、とありますが、これは死を免れたということでありません。イエスさまは、確かに十字架につけられました。この祈りは結果的に、死者からの復活によって聞かれました。イエスさまは、十字架上の苦しみを味わい、かつ、死からの救いを受けられたのです。
 イエスさまは御子でありますから、人が行なうようなことをする必要はないのですが、けれども、人となられて、人が学ばなければいけない、神への信頼と従順をご自分で経験されたのです。
(お祈り)
苦難を通して従順を学ばれた主イエス・キリストの父なる神さま、 あのゲッセマネの夜を 、血のような汗と涙の滴りを絶叫にも似た激しい 祈りを、三たび祈られたのち 、父なる神に従うことによって得られた平安を、私は思い巡らします 。また、ゲッセマネゲスの園で 眠りこけていた弟子たちを 、十字架を遠巻きにしていた人々を、 あなたは知らないと言ったあの弟子たちを思い巡らします。けれども 主よ、あなたは彼らを、いや私たちを、全て赦し、あなたに従順なものとしてくださいましたことを 感謝いたします。ご自身を献げて私たちの贖いの生贄とされた主のみ名によって お祈りいたします。ア ーメン

5月5日火曜日
コリント人への第二の手紙 4:6新共同訳
 「やみの中から光が照りいでよ」と仰せになった神は、キリストの顔に輝く神の栄光の知識を明らかにするために、わたしたちの心を照して下さったのである。」
(黙想)
この箇所で、創世記1章の個所から、パウロは引用しています。光が創造された第一目のことですが、やみの中に光が輝き出よ、と仰せになって、光ができました。同じように、神は私たちの暗くなっている心に、キリストの御顔を輝かせてくださるのです。
(お祈り)
天の神様、私は、人が選んだ歩みの方がよく見えて、自分の歩むべき道を見失ってしまうことがあります。けれども 神様、あなたが示される 道以上に良い道などはありません 。あなたは私の人生を導く光です 。私はあなた にしっかりと結ばれ、 ついて行きたいと願っています。 どうぞ、私と共にいてください。 私が信仰に堅く立って 、私のうちに、あなたの愛の光が 、明るく輝きますように、 主のお名前によって お祈りします。 アーメン

5月4日月曜日
詩編 66:18-20 新共同訳
 わたしが心に悪事を見ているなら 主は聞いてくださらないでしょう。 しかし、神はわたしの祈る声に耳を傾け 聞き入れてくださいました。 神をたたえよ。 神はわたしの祈りを退けることなく 慈しみを拒まれませんでした。
(黙想)
 おそらくこの詩編の作者はは、大きな試練の中で練り清められ、その中で主に対して罪を言い表したのでしょう。そこで、神が恵みによってその祈りを聞いてくださり、そして今のように回復してくださったのです。今、彼の心は清められています。
(お祈り)
天の父なる神様、この新しい一日を、ずっと私と一緒に一歩一歩導いて歩ませてください。 そしてあなたと共におれるように心を集中しておれば、 いかなる 危険な道も恐れずに歩けることがわかるようにしてください。 聖書は私がどこへ行こう ともあなたが共にいて私を守ってくださると語っています 。どうか、この人生の旅路における私の務めがあなたを信頼し、確信をもって、 あなたに目を向け続けることであることを覚えさせてください。 いつも見守ってくださる 主イエス・キリストのお名前によって お祈りします 。アーメン

 
5月3日日曜日
ヨハネによる福音書 3:1-2 新共同訳
  さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。    ある夜、イエスのもとに来て言った。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」
(黙想)
 ニコデモは、「ユダヤ人の指導者であった」とあります。ユダヤ人には「サンヘドリン」という、70人で構成されているユダヤ人議会がありました。ユダヤ人はローマ帝国の中にいましたが、ユダヤ属州と言って、自民族の自治は守られていたのです。ニコデモはその議会の議員でありました。私たちが、「神のところに最も近づくことができる人」と考えるなら、このニコデモのような人なのではないでしょうか。人間的に優れた人であれば、神に近づくこともできるのです。
 生命の誕生とは、母の子宮からこの世に 、暗闇から光の中に 、突然 運ばれ 移動し 生身の肉の世界に 人間として存在することなのです。 イエスの新たに生まれなければという言葉の意味も同様に 実在する神の世界の中へ移動することなのです
(お祈り)
天の神様 、私の体内の隅々で息づき 、全てに 新しい光の息吹を吹き込んでください。私を救いの光が見えるようにし、 真実の信仰に目覚めさせ 、聖霊でゆたかに満たしてください。主イエス・キリストによって お祈りします。アーメン


5月2日(土曜日)
ヨハネの手紙一 2:5-6 新共同訳
 神の言葉を守るなら、まことにその人の内には神の愛が実現しています。これによって、わたしたちが神の内にいることが分かります。 神の内にいつもいると言う人は、イエスが歩まれたように自らも歩まなければなりません。
(黙想)
 神の愛が完全に働いているところには、みことばを守っているという特徴があります。
 神のうちにとどまっていると言う者は、自分でもキリストが歩まれたように歩まなければなりません。ヨハネの福音書の中に、イエスさまが、「わたしは、自分からは何事も行なうことができません。ただ聞くとおりにさばくのです。(5:30)」など、自分ではなく、父が言われることを話し、父が行なわれることを行なっていると言われている個所がいくつもあります。ですから、同じように、自分も何事も自分から行なうのではなく、キリストが言われているように言い、キリストが行なわれているように行なう。神の命令を守ることで、神との交わりをしていきます。
(お祈り)
天の父なる神様、あなたが私に注いでくださる豊かな恵みを心から感謝いたします 。私の人生における 困難でさえも、あなたの恵みとみなすことができます 。それによって私は忍耐強くなるように訓練され、 変えられ 天国への備えをさせられるからです。 だから私は心を開き、両手を広げて、 あなたのもとに近づくのです。 どうか、あなたが私のために備えてくださった全ての良きものを受けられるように、助け 導いてください。私たちの主の偉大なお 名前によって お祈りします。アーメン

5月1日金曜日
ヨハネの黙示録 15:4 新共同訳
 主よ、だれがあなたの名を畏れず、 たたえずにおられましょうか。 聖なる方は、あなただけ。 すべての国民が、来て、 あなたの前にひれ伏すでしょう。 あなたの正しい裁きが、 明らかになったからです。」
(黙想)
 今彼らは、主が地上に再臨されて世界の王となられることを讃美しています。イエスさまはイスラエルの君だけではなく、すべての国々の君であり、すべての民族、国民がエルサレムに来て、イエスさまをあがめ、ひれ伏します。それは、イエスさまが地上に戻ってこられるときに、正しいさばきを行なわれるからです。ですから、すべての人が主の御名をほめたたえます。
(お祈り)
栄光の主イエス様 、いつもそばにいてくださってありがとうございます 。私たちが共に旅してる道は、最後には天国に通じる本道です 。この栄光の目的地に思いをはせると、前方の道がでこぼなのか、 平坦なのか気にならなくなります 。どうか、私が心の中に2つの焦点ーいつも共にいてくださるあなたと、天国の希望ーを持てるように訓練して ください。天国の希望とあなたの素晴らしい お名前によって お願いします。アーメン

4月30日木曜日
ペトロの手紙二 3:9 新共同訳
 ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。
(黙想)
 主がユダヤ人だけでなく異邦人にも救いを与える恵みの時代は、主が教会のために戻ってきてくださる携挙の時に終わります。主の来臨が遅れているように見えるのは、それを遅らせているのではなく、人々が悔い改めに導かれるように、主が忍耐深く待っておられるからです。これはクリスチャンだけでなく、未信者の救いもあります。主は今にでも来ようとされています。けれども、主はひとりでも滅んでほしくないと願って、忍耐深くあられるのです。エゼキエル33章1節には、「わたしは誓って言う。・・わたしは決して悪者の死を喜ばない。かえって、悪者がその態度を悔い改めて、生きることを喜ぶ。」とあります。
(お祈り)
天の神様 、私が今日も喜びを見いだせるように助け 導いてください 。御子イエスはご自分の前にある喜びのゆえに、十字架を忍という極度の苦悶を伴う決断をしてくださっています。 その喜びは 、多くの子たちを 栄光へと導くための 永遠の喜びでした。どうか、私があなたから目を離すことなく、 自分の試練の中に宝を探すことで、その喜びを 選び取ることができるようにしてください。 死も恐れぬ 主イエスのお名前によって お祈りします。アーメン







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